華原朋美、“アイドル・遠峯ありさ時代”語る

2020/12/08 05:15 Written by Narinari.com編集部

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歌手の華原朋美(46歳)が、12月6日に更新した動画の中で、アイドルとして活動していた“遠峯ありさ時代”について語っている。

「華原朋美になるまで」と題した動画で、「実は、華原朋美になる前に、遠峯ありさという名前で活動していました。もう何十年も前の話なんですけれども、初めて芸能界に入ったのが15歳。15歳のときに原宿で…原宿じゃない。渋谷の吉野家でスカウトされました。それで『アイドルになってみないか』っていう風に言われまして、『えっ? 私がアイドル?』って。もともと性格的にすごい男っぽいところがあったので、『アイドル?』っていう風に言いました」と、“華原朋美以前”について語り始めた華原、

スカウトされた当時は「ちょうど私は乗馬をやってまして、3歳から乗馬やってたんですけども、乗馬で国体に出て優勝するという夢を持ってまして、一生懸命乗っている時期でした。夏の合宿に出たりとか、いろんな先生に見ていただいたりとかして、やってました」と、真剣に乗馬に取り組んでいた時期だったそうだ。

そうして芸能活動の一歩を踏み出した華原だが、当初はバストショットだけのメイクモデルのような仕事をしていたそうで、「そのうち、だんだん芸能人になりたいという夢も膨らんで来たんですね。オーディションを毎日受けるようになりました」とのこと。ただ、所属していた事務所も小さいところで、自身の実力も不足していたことから、オーディションは連戦連敗、受けては落ちるの日々だったという。

そんなあるとき、テレビ番組のオーディションに合格。今田耕司、東野幸治が司会を務め、ほんこん(蔵野孝洋)や木村祐一、山崎邦正らも出演していた深夜のバラエティ番組「天使のU・B・U・G」(フジテレビ系/1994年10月〜1995年3月)に、多くのアイドルたちと一緒に出演することになる。

同番組で華原は、ほかのアイドルに負けないよう、“普通はアイドルがしないことをする”を心がけながら出演し、存在感を発揮。すると、その印象が強くなって、どんどんオーディションに受かるようになったそうで、「今度は、生放送の番組の司会に抜擢されまして。そのとき、もう一人の司会がいまもう議員さんになってしまいましたけど、山本太郎さんと、遠峯ありさという、司会で毎週やってた」と振り返った(※番組は「今田耕司のシブヤ系うらりんご」火曜日担当)。

そして「実はその頃に、ある出会いがありまして。その『天使のU・B・U・G』っていう番組が終わってしまうっていうときに、ある有名な方が『遠峯に会いたがってるよ』って言われて。私は、呼ばれたらどこでも行く、どんなとこでも行くっていう、とにかく人脈を広げるために、夜は勤めてたんで、勤めてたってキャバクラとかに勤めてたわけではなく、そういう出会いとかを多くするために、心がけてたんですけど、それがあの有名なプロデューサー(小室哲哉氏)だったんですね」と、華原の人生を大きく変えた小室氏との出会いにも言及。

さらに「そのあと、ああいう出会いがあって、華原朋美になったんですけど、華原朋美になったっていうのも本当に急な話で、たまたまですよ、たまたま、カラオケに行ったときにtrfさんの曲を、『survival dAnce』という曲を歌ったところ、昔から高校生の頃からカラオケがすごい流行りだして、すごい好きだったんですね。trfさんみたいな、すっごい流行ってましたから、そのときもカラオケで歌いました。そうしたら『遠峯って歌も歌えるんじゃん』って話になって。それで『歌手になってみないか』っていうスカウトが、そこで初めてあったわけですね。もともとは、本当は…こんなツラしてこんなこと言うのは申し訳ないんですけど、実は女優志望だったんですね。女優志望で。アイドルから這い上がるために一生懸命積み上げてきて、有名なプロダクションに入って、女優になるのが夢だったんですけども。そこで、すごい大きい方と、本当にいま感謝の気持ちしかありませんけども、そういう方と出会いがあって、華原朋美っていう歌手になれました」と語り、「そこからもう人生上がったり下がったり、上がったり下がったり〜っていう感じですけども、その続きはまた今度お話したいと思います」と、今回の動画を締めくくった。



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