レッチリ元ドラマーが自宅で転倒事故死、フリーが追悼

2022/11/01 05:23 Written by Narinari.com編集部

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デッド・ケネディーズのドラマーで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに所属していたこともあるD.H.ペリグロが死去した。63歳だった。ロサンゼルスの自宅で転倒して頭を打ち、10月28日に死去。翌日、デッド・ケネディーズから訃報が発表された。

1988年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに短期間所属後、デッド・ケネディーズに参加したD.H.ペリグロ。声明にはこう綴られている。

「デッド・ケネディーズのドラマー、D.H.ペリグロ(ダレン・ヘンリー)が昨日、10月28日にロサンゼルスの家で旅立ちました。不慮の事故による頭部外傷での死亡です。葬儀は未定ですが近日中に発表される予定です」
「皆様のお気持ちと慰めの言葉に感謝しています」

1981年にデッド・ケネディーズのオリジナルドラマーの後釜を務めることになったD.H.ペリグロは、同バンドが1986年に解散するまで所属し、その2年後には当時ドラマーだったジャック・アイアンズの代わりとしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズに参加。4枚目のアルバム「母乳」では曲作りに貢献するも、ステージに上がることはなく、1988年11月に解雇、現ドラマーのチャド・スミスが加入することとなる。

ザ・へレーションズ、ジャングル・スタッズ、ネイルボム、ザ・フィーダーズ、ロックアップ、ザ・トゥー・フリー・ストゥージズ、リバーエンド・ジョーンズ、SSIといったバンドで活躍、自身が結成したバンドのペリグロでは、3枚のアルバムをリリースしている。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト、フリーはインスタグラムにこう綴っている。

「俺の親友、兄弟、いなくなって寂しい。今日は絶望的な気持ちだ。涙が止まらない。残りの人生、全ての思い出を大切にしていくよ」
「デッド・ケネディーズでお前がプレイしているのを最初に見たのは1981年で、たまげたよ。そのパワー、魂、無謀さにね」
「そして俺の親友になった。あまりに多くの思い出がある。支え合いながら本当に楽しみや喜びを分かち合った」
「心から愛している。真のロッカーだ。そしてRHCPの歴史の欠かせない一部だよ」
「DHPは俺たちの心に永遠に生き続ける。向こう見ずで、楽しく、デカい心を持った野郎。お前にこれからも敬意を表するよ。ゆっくり休んで、自分を縛っていた全てのものからの自由になってくれ」

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