ポール弟「私はビートルズのドラマーだった」当時を振り返る

2022/10/14 05:27 Written by Narinari.com編集部

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ポール・マッカートニーの弟、マイク・マッカートニー(78歳)が、ザ・ビートルズのオリジナルドラマーだった時代を振り返っている。

前身バンドとなるザ・クオリーメンで、ポールとジョン・レノンの後ろでスティックを握っていたマイクだが、ボーイスカウトのキャンプで腕を負傷。神経まで痛み出し、ドラマー人生が絶たれたという。

BANGショービズからのインタビューで、ザ・ビートルズのオリジナルドラマーだったのかと聞かれたマイクは「イエス」と回答し、こう続けた。

「私はザ・ビートルズのドラマーだった。しかし腕を負傷してしまった。ジョンがザ・クオリーメンと(英リバプールの)フォースリン・ロードに来ていた頃で、ジョージ(ハリスン)が参加するよりも前さ。キャンプで負傷した腕は手首をコントロールする神経に達していてね。ダメになってしまった。電気ショックや腕を温めたりと神経の回復をしなければならなかった。数年にわたって、ワイヤー入りのサポートストラップを付ける羽目になったんだ」
「腕を負傷していなかったら私はビートルの1人だった。しかし腕を負傷した。私はビートルではない。夢ではなく常に現実と向き合わなくてはいけないね」

ザ・ビートルズはジョージが加入した当時、ピート・ベストがドラムを担当、1962年ドイツのハンブルグでのライブ後、ピートはクビとなりリンゴ・スターが加入、伝説のラインアップが遂にそろい世界を席巻することとなる。

そんな同バンドから漏れたマイクだが、ステージネームをマイク・マクギアに変更し、ロジャー・マクゴフ、ジョン・ゴーマンらとコメディ、ミュージック、ポエトリーを駆使したパフォーマンストリオ“ザ・スキャフォールド”を結成した。

同グループは1966年から74年にかけて英チャートにも入り、68年のクリスマス定番曲「リリー・ザ・ピンク」や67年の「サンキュー・ベリー・マッチ」が有名だ。後者は故エリザベス王妃クイーン・マザーや英首相だった故ハロルド・ウィルソンもお気に入りの曲として挙げていたという。

一方、マイクは写真家としての腕も高く、2005年には60年代の写真を集めた展覧会「マイク・マッカートニーズ・リバプール・ライフ」を開催。そんな写真やザ・ビートルズの初期の舞台裏やツアーの記録を収めた新書「マイク・マッカートニーズ・アーリー・リバプール」は現在コレクターズエディション版がMikemccartneybook.comで購入可能となっている。

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