弘前城の天守が“引っ越し”へ、100年ぶりの石垣大修理で70m移動。

2014/03/31 14:22 Written by Narinari.com編集部

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全国12か所の現存天守のうち、関東以北では唯一の弘前城天守が“引っ越し”をする。現在、100年ぶりの石垣大修理へ向けての準備が進められており、2015年夏頃に曳屋(ひきや)工法にて現在の天守の北西70メートルに移動。再び元の場所に戻るのは、早くて5年後の予定だ。

弘前城本丸東面の石垣には、以前から膨らみが確認されており、修理の方向性について検討が重ねられてきた。その結果、天守台南面約10メートル、東面約100メートルの範囲で石垣修理を行うことが決定。2014年の秋頃には天守の下の内濠を埋め立て、天守曳屋工事のための仮設基礎を設置する予定だ。このため、内濠の水面に映る天守と桜、水面に浮かぶ花筏(はないかだ)といった光景は、今年のさくらまつりの後にしばらく見ることができなくなる。

そして2015年の夏から秋にかけて天守を本丸内側に曳屋し、石垣の解体工事が始まる予定。工事には全体で約10年を要し、天守を元の位置に戻すまでにも、5年はかかると見込まれている。

弘前城は1611年に弘前藩2代藩主・津軽信枚によって築かれた城。もともとは華麗な五層の天守で、本丸西南隅にあったが、1627年に落雷で焼失した。その後、再建しようとしたところ当時の法律「武家諸法度」で天守の新築が禁じられていたため、9代藩主寧親の時代に、やむなく隅櫓の名目で幕府の許可を得て、1810年に現在の三層の天守が完成した。

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