辛坊治郎が太平洋横断挑戦へ、昨年がん手術で「4月にもう一度検査」。

2013/03/14 00:32 Written by Narinari.com編集部

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ブラインドセーラーのHIROこと岩本光弘さん(46歳)と、ニュースキャスターの辛坊治郎(56歳)が、世界で初めてのダブルハンドによる小型ヨットでの太平洋横断に挑戦することになり、3月13日、吉本興業株式会社東京本部で記者会見が行なわれた。

生まれたときから先天性の視覚障害に見舞われ、高校生のときに残されていた視力を失った岩本さん。その後、熊本県立全盲学校で鍼灸手技法を、サンフランシスコ州立大学で特殊教育学を習得。1992年に筑波大学理療科教員養成施設を卒業し、同年から筑波大学付属盲学校鍼灸手技療法科の教諭を務める傍ら、青山学院大学夜間部で心理学を学んだ。

また、2006年にはワールドブラインドセーリング大会に日本代表として参加し、妻との出会いをきっかけに、セーリングの聖地・サンディエゴでもう一度がんばりたいと考え移住。現在は同市内で指鍼術療法の医院を経営しながら、ブラインドセーリングを行なっている。

辛坊は1980年に早稲田大学卒業後、読売テレビにアナウンサーとして入社。ヨットのキャリアも長く、現在は「ヨット雑誌・Kazi」に連載を持っている大のヨット好きだ。

今回、2人が世界初の偉業へ挑戦することになった経緯は、プロジェクトD2製作委員会の比企から説明された。

「アースマラソンで間寛平さんが乗っていた“エオラス”が役割を終えたまま、日本の海に留まっているという記事が雑誌に掲載された。そこで誰か使ってくれる人がいないか募集をかけたところ、岩本さんが名乗りを挙げてくれました。同乗者を探している中で、辛坊さんの顔がいの一番に浮かんだので、本人がいないところで岩本さんとお願いにいこうと決めたんです。そこで僕から電話をして事情を説明したところ、『面白いなぁ』と返事をもらってプロジェクトが進むことになりました」(比企)

「本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、ありがとうございます」と、何度も大きく区切りながら挨拶する岩本さん。「そんなに緊張しなくていいですよ」と辛坊に声をかけられ、ようやく笑顔を見せる。

「ヨットマンとしてずっと夢に描いていたヨットによる太平洋横断のチャンスが、こんなに早く訪れるとは思ってもいませんでした。福島からサンディエゴまでの道のりは、人生の縮図のようなもの。気持ちのいい日もあれば、大波をかぶったり、強風でヨットが斜めになることもある。でも、それも夢への実現のために必要なこと。自分を信じて、辛坊さんと二人三脚でがんばっていきたい」と意気込みを語った。

一方、辛坊はまずどれくらいの記者がいてカメラが何台あるのかを、岩本さんへ的確に伝達。「今回の挑戦は、比企さんに騙されたようなもの」とジョークを交えながらも、「まさに乗りかかった船。大きな声では言えないけれど、(いまの生活に)疲れたなと思っていたときに、この話をいただけた。休む絶好の理由になると思って乗っかったようなものですが(笑)、実は『ヨットで太平洋横断を横断したい』と30〜40年言い続けていた。第1回大阪マラソンの番組で(間)寛平さんにお会いして、それを伝えたら『比企に言うといたるわぁ』って言ってくれたのが、今回の発端でした。人生はイベント。イベントのない人生はつまらない。私が今回挑戦しようと思ったのは『面白そう』それだけです。ご声援いただけたらと思います」と語った。

2人は6月8日(土)、テストセーリングを兼ねて大阪北港ヨットハーバーから福島の小名浜へ入港。その後、ダブルハンドでサンディエゴのマリオット・マーキース&マリーナを目指して、5100マイルの旅へと出発する。

今回、最終出港地として小名浜を選んだのは、2年前の東日本大震災を風化させないことと、被災地のみなさんを少しでも元気づけたいためとのこと。小学校の頃は野球ができるほどあった視力が段々と落ちていき、高校時代に全盲となってしまったとき、岩本さんは大好きな海に身を投じようと思ったそうだ。説明をしていた司会の比企が言葉を詰まらせてしまったため、辛坊が引き継いだが、岩本さんの壮絶な覚悟に涙ぐむ一幕もあった。

岩本さん自身も「海に投げようと思ったとき、“怖い”と思った」と、当時を振り返る。「で、泣いて泣いて眠りに落ちたときに、夢の中でポジティブに生きようというメッセージを受けたんです。生きる意味を失っている人は僕以外にもいるけれど、僕がポジティブに生きることで勇気を与えられるんじゃないかと感じました。2年前、大震災が起こったときに、何もできないけれど、何かしたいと思った。アメリカなどのローカルメディアでこの思いを風化させないために、僕はハーフマラソンを走り、主張してきました。震災の被害に遭われた海を愛してヨットをやっていた方、海水浴に行っていた方の中には、もう海は見たくないと思う日ともいると思います。ですが、勇気を出してポジティブに捉えられるよう、家族の絆や亡くなった方々から受ける命の大切さを重要視してほしいと思ったんです」と語った。

米国にいることで、より日本を近く感じているという岩本さん。SWISの人たちと一緒に、福島の海星高校のヨット部といわきジュニアヨットスクールに小さなヨットを手渡そうと決意。先にアメリカで行なわれたハーフマラソンを走ったりと、出港ギリギリまで募金活動を行なうそうだ。

「僕の夢が、福島からスタートする。(被害に見舞われた方々に)海は君たちのことを待っているよというメッセージを贈りたいんです」と力強く語った。

2人が乗船するのは、アースマラソン時よりもパワーアップした“エオラス”。インマルサット衛星により進化したVsat衛星を搭載し、2つ増設された発電機と大量に確保されるバッテリーから1日8分のデジタル映像を配信するほか、ブログの更新も行なう予定とのこと。2人の航海の様子は、休みなく周り続けるカメラですべてが映される。

また、航海中、岩本さんは古野電気によるマルチファンクションディスプレイのブラインド向けソフトウェアを使って、正確な情報を取り出していくとのこと。船内はWi-Fi環境も設備されており、安全を確保しながら航海できるそうだ。

「比企さんのヨットは、頑丈。やたら分厚くて、カプセルにもなっているので戸締まりすれば、真っ逆さまになっても浮いてます」と辛坊。「いちばん怖いのは、落水。でもハーネスラインをつけて、お互いの命を守るというルールさえ守れば大丈夫です」と断言しながらも、「これからが大変ですよ」と気を引き締めることも忘れていない。

「日本を離れるまでは、私が法的な責任者=船長になるので、そのための訓練をやっていきたい。小さな船ですから、声をかけあってコンビネーションを持っていきたいですね」と語る辛坊に、岩本さんは「辛坊さんは表現がすごい。イメージがすごく浮かびやすいように話してくれるので、頭の中でメンタルマップをつくりながらセービングできるのが楽しみです」と期待を寄せる。

実は辛坊、昨年末の人間ドックで十二指腸がんが見つかったそう。「内視鏡手術で摘出したんですけれど、人間ドックはこのプロジェクトのために受けたものだったから、ある意味、HIROさんは命の恩人。4月にもう一度検査を受けるんだけど、それで何か見つかったら……というのだけが懸念。そうなったら、比企さんに行ってもらうということになるかも」と話すも、「辛坊さんと行きたいです!」と岩本さん。これに対して、辛坊は「本当は堀北真希さんと行きたかった。岩本さんはテンションが高くて元気なイメージ。本当はそういう人、苦手なんですよ」とおどけながらも、「ぜひ! 決めたからには行かなきゃカッコ悪い。そんなことはできない」と力強く返した。

フォトセッション後には、もう一度マイクを握り、「今日、会見に来てくださったみなさんは、私たちと一緒に航海するくらいの気持ちで」と語りかける辛坊。「出港の際には、いわきまで来ていただけるとありがたいですし、ゴールのサンディエゴまでいらっしゃると楽しいときが過ごせるんじゃないかなと。今後ともよろしくお願いします」と報道陣へ呼びかけた。

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