中村勘三郎さん追悼の声続々、急性呼吸窮迫症候群のため57歳で死去。

2012/12/05 14:28 Written by Narinari.com編集部

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人気歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが12月5日、都内の病院で急性呼吸窮迫(きゅうはく)症候群のため亡くなった。57歳だった。歌舞伎の世界だけでなく、広く芸能界で活躍した勘三郎さんに、多くの芸能人たちが追悼のコメントを寄せている。(※いずれも公式ブログ、およびTwitterより抜粋)

◎IMALU(タレント)
「私の家族、家族と呼ぶ人たちみんなが勘三郎さんファミリーと家族ぐるみの仲でした。ほんとに悔しい。ほんとに悔しいです。周りがみんな勘三郎さんは“日本の宝”“太陽みたいな人”と言ってました」
「私の中の勘三郎さんはみんなのミッキーマウスです。明るくて楽しくてみんなを幸せにしてくれて、みんな勘三郎さんのことが大好きでした。神様はなんで今勘三郎さんを取ってしまったんだ」

◎志村けん(タレント)
「舞台で感動を頂き 何回かお酒飲む席でご一緒させて頂きました 元気に笑いながら色々な話 もう聞けないなんて 本当に残念 ご冥福お祈りいたします」

◎カルーセル麻紀(タレント)
「ショックお受けています 先代から可愛がって頂き、良くお芝居も観に行きました、若い頃からのお付き合いでした、お酒も一緒に良く飲みました。ご冥福をお祈りします」

◎ベッキー(タレント)
「朝、中村勘三郎さんが亡くなられたというニュースをみて、立ちすくんでしまいました。悲しいです。ある約束をしていたんです。それが叶えられなくて、さびしいです。そして、ごめんなさい。ご冥福をお祈り申し上げます」

◎ダンカン(タレント)
「オレなんかに有難い言葉をかけてくれた勘三郎さん…やたら、悔しい…」

◎泉谷しげる(歌手・タレント)
「なんだコノ説明つかない喪失感は…特に昵懇だったワケでは無いが勘三郎襲名する前の勘九郎のときに偶然に飲み会でお会いしたが、なんて元気で可愛い人かと思ったもんさ 飲んで騒いでケンカして(笑)いっぺんに彼のファンになってしまいコッソリ歌舞伎を見に行ったっけな 面白くて歌舞伎そのものを好きにさせてくれたンだから、いつか御礼と感謝申したいと思ってたンだがな」
「勘三郎さんの歌舞伎また見に行くね」

◎秋元順子(歌手)
「若い方達に、もっと歌舞伎を、楽しんで欲しいと、素晴らしいアイディアで…海外で、英語で等々、歌舞伎界の風雲児と呼ばれ、これから 更にとても 楽しみにしていました」

◎三原じゅん子(参議院議員)
「大好きなかたでした。何度も舞台を見に行って多くのことを学ばせていただいた。感動を沢山いただいた。歌舞伎を身近なものにしてくださった。本当に大好きだったのに。残念」

◎清水アキラ(タレント)
「涙がスッと流れた。話した事も、お会いした事もない。でも、話したかったし、凄く会いたかった。密着の番組など拝見していて会いたい!病気された時も会いたかった!尊敬していた」

◎小室哲哉(音楽プロデューサー)
「お会いした事はありませんが、中村勘三郎さんの訃報。あまりにも無念であろうと。心よりお悔やみ申し上げます。僕が語れる事ではないが日々どれだけ急げば志を全う出来るのだろう。焦らずにいられない気持ちが本音です」

◎水道橋博士(タレント)
「息子さんとは今年、縁が生まれたが勘三郎さんにお会いすることはなかった。享年57。しかし死をますます意識する。オマエだって残り7年なんだよ。と語りかけてくる」

☆勘三郎さん家族がコメント

皆様へ
中村勘三郎は、7月27日、患った食道癌の手術をして頂きました。
12時間に及ぶ大手術となりましたが、手術は成功し、術後経過も順調で病棟内を歩くほどに回復しました。
しかし、経過中に肺炎を発症し、その後、肺炎による呼吸不全が進行するという事態に陥りました。この肺炎による呼吸不全は思いの外、重症であり、呼吸不全に対する専門的な治療を行える病院へと、二度にわたり転院をし、考え得る最高の治療をして頂きました。本人も病気に立ち向かい、手術から約4か月に及ぶ闘病が続きました。
その間、来年4月の歌舞伎座こけら落しに出演することを、心の依り所とし、癌晴って(※原文ママ)参りました。
医療スタッフの方々も懸命な治療をなさって下さいました。
けれども遂に、回復する事は叶わず、無念の内に、本日12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため永眠いたしました。
生前、中村勘三郎を長くご贔屓頂いたことを心より感謝いたします。

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