藤井投手が人的補償の裏側明かす、新天地で「よし!やってやるぞ」。

2012/01/13 06:52 Written by Narinari.com編集部

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巨人にFA移籍した村田修一内野手の人的補償として、横浜DeNAへの移籍が決まった藤井秀悟投手が、ドタバタだったというその裏側を公式ブログで明かしている。

1月13日付けのエントリー「緊急」によると、藤井投手が通告を受けたのは、自主トレのため滞在していたハワイでのこと。球団から午前1時頃に電話が入り、電話口に出た「球団の偉い方」が誰の声かわかった瞬間、「“俺だ”って思った」そうだ。

藤井投手の計画では当初19日にハワイを離れる予定だったが、自主トレを切り上げてすぐに帰国する必要が生じたため、24時間営業の航空会社の窓口に電話して飛行機のチケットを手配。慌てて部屋の片付けや帰国準備をしている間には、再びチームメイトになるプエルトリコ滞在中のアレックス・ラミレス外野手からも電話があったという。

その後1時間半ほど仮眠をとり、ロードワークやキャッチボール、20秒ダッシュなどのメニューをこなして、レンタカーの返却など雑用を済ませて空港へ向かい、ようやく帰国の途に――と、かなり濃密な一日を過ごしたようだ。

また、藤井投手は一つ前のエントリー「移籍」で、横浜DeNAへの移籍について胸の内を明かしている。人的補償のプロテクトには「勿論入ってないとは思っていました」としながらも、「まさか沢山いる残りの選手の中から僕が選ばれるとは思ってなかったので正直、話を聞いた時はビックリでした」と驚いたそう。ただ、「昨年の成績でそれでも戦力になる!と思って指名して頂けたことは光栄だしありがたいことです」と移籍は前向きに捉え、「『よし!やってやるぞ↑』という気持ちは強い」と決意をにじませている。

さらに「日ハムをクビになってFAという形を取ったけど 拾ってくれたジャイアンツに恩返し出来なかったことは申し訳なく思います」とお詫び。ファンやスタッフ、チームメイトには感謝の言葉をつづった。

そしてエントリーの最後はこう結んでいる。「ベイスターズファンの方々に藤井が来て良かったと言ってもらえるようにチームの力になりたい」。

藤井投手は早稲田大学を経て1999年のドラフト2位でヤクルトに入団。2001年には14勝を挙げ、セ・リーグの最多勝に輝いた。通算成績は247試合、70勝69敗、防御率3.79。

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