浪人の工藤公康氏が現役引退、肩のリハビリに努めるも痛み消えず決断。

2011/12/09 04:24 Written by Narinari.com編集部

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昨年オフに西武を戦力外となり、肩のリハビリをしながら現役復帰を目指していた工藤公康氏(48歳)が12月9日、公式ブログで現役引退を表明した。

9日付けのエントリー「30年間ありがとうございました。」では、まず、「私、工藤公康は『引退!』をする事にしました」と報告。浪人となった今年は「肩の痛みもとれず、何をしても肩の事が気になり、病院に行って注射を打っても痛みが引かない日々」だったが、それでも「『いつか必ず!』『いつか必ず!』という思いを心に刻みつけ、リハビリも、トレーニングもしてきました」と1年間を振り返っている。

しかし、そうした中で、現在に至るまで「痛みが消えることがなかった!」そうで、これが引退を決めた最大の理由。ファンには「今まで沢山の応援や、励ましをいただき、それが何よりも私の“諦めない心”でした。本当にありがとうございました」と、感謝の言葉をつづった。

そして、「これまでに、沢山の先輩方、監督さん、コーチの方々、裏方さん達、病院の先生方、トレーニングでお世話になった方々、トレーナーのみなさん、記者さん、全ての人に感謝です。私の力ではとてもここまで来る事は出来ませんでした。沢山の人の支えがこれからの私の宝です」と、長きにわたる現役生活をサポートしてくれた人たちに謝意を述べ、今後については「これからは支える側として一人でも多くの子供たちにケガをせず、楽しく野球が出来るようアドバイスが出来れば!と思います。私自身、学ぶ事!知る事!考える事!を忘れず、次のステップへと進んでいこうと思います」と決意を新たにしている。

工藤氏は1963年生まれの48歳。1981年のドラフト6位で西武に入団し、1985年からは不動のエースとして“西武黄金期”を支えた。そして1994年オフにFAでダイエーに移籍すると中心選手として活躍。1999年オフに2度目のFAで巨人にわたり、その後、2006年オフにFAで巨人に移籍してきた門倉健投手の人的補償として横浜へ移籍した。横浜では中継ぎとしても活躍したが、2009年オフに戦力外通告。これを機に16年ぶりに古巣の西武に復帰したが、昨年オフに再び戦力外通告を受け、今年は浪人として現役復帰を目指していた。西武、ダイエー、巨人ではそれぞれ優勝と日本一を経験。そのため、“優勝請負人”とも呼ばれた。

また、先日は横浜DeNAの初代監督候補に浮上。選手兼任監督を熱望し、契約交渉を進めていたが、高田繁ゼネラルマネジャー(GM)との意見が折り合わず破談となっていた。

実働29年(プロ野球歴代1位)の通算成績は635試合に登板し、224勝142敗3セーブ10ホールド、2,859奪三振、防御率3.45。獲得タイトルは最優秀防御率4回(1985年/1987年/1993年/1999年)、最多奪三振2回 (1996年/1999年)、MVP2回(1993年/1999年)、最優秀投手1回(2000年)、日本シリーズMVP2回(1986年/1987年)など。

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