孤島を25年間守り続けた夫婦、仕事は日の出と共に“中国の国旗掲揚”。

2011/10/11 13:08 Written by Narinari.com編集部

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中国・江蘇省連雲港市灌雲県に、“開山島”と呼ばれる面積13,000平方メートルほどの小島(甲子園球場のグランド面積とほぼ同じ)がある。島の3方は険しい岩に囲まれており、日中戦争時には一時日本軍の占領下に置かれていたこともある島だ。国慶節を迎えた中国では先日、この島で“島の守り人”として25年間暮らす夫婦の特集番組が放送された。

灯台や洞穴、埠頭、そしてかつての駐屯軍の兵舎が残されている以外、特にこれといった施設は存在せず、わずかな人々しか暮らしていない開山島。この島に王さんが初めて上陸したのは1986年7月14日、27歳のときだ。灌雲県人民武装部の委任により着任して以来、25年間にわたり“島の守り人”としての生活を送ってきた。王さんは初上陸した記念すべき日のことを「島があまりにも荒れていて、1時間もしないうちに帰りたくなりました」と振り返る。

当初は孤独な島での生活に慣れず、それ以前は嗜んでいなかった酒やタバコに頼る生活に。着任にあたり武装部から提供された30キロの白酒と6カートンのタバコは、上陸からわずか1か月で底をついてしまったそうだ。

そんな王さんを何よりも不憫に思ったのが妻。彼が島で生活を送るようになってから48日後に妻も島に上陸したが、久しぶりに会った王さんの姿を見て、大きな衝撃を受けたという。髪はボサボサ、髭も伸び放題、身体はやせこけ、皮膚は真っ黒……。あまりの変わりように妻は思わず泣き出してしまうほどだった。当時、妻は小学校で教師を務めていたが、夫の変わり果てた姿に「仕事を辞めて夫とこの島で暮らそう」と決意。そこから夫婦の島での生活が始まった。

こうして孤独な生活から解放された王さんだが、“島の守り人”として夫婦2人に日々課せられていたのが、国旗を掲げる作業だ。この25年間、雨が降ろうと嵐が来ようと、毎日必ず国旗を掲げてきた。もちろん、これは「開山島は中国領土である」ことの意思表示だが、国旗を掲げる時間は特に決まっていないそう。ただ、日の出に合わせて掲げるのが基本で、天候が悪い日は前日の日の出時間に合わせて国旗を掲げている。

現在、王さん夫婦が暮らす住まいには開閉式の窓はない。板にクギを打ち込み、隙間を作ることで窓代わりにしている。夏場は屋上で寝ているが、「蚊は多いけれども、部屋で寝るよりは心地良い」と、それなりに快適なようだ。また、電気が通っていない島では、2人の唯一の娯楽はラジオしかなく、この25年間で壊したラジオは19台にも上る。しかし、そうした生活を改善するため、今年1月には、江蘇省軍区が風力発電機と衛星テレビ受信機を備え付けてくれたおかげで、“島の守り人”生活25年にしてようやくテレビが見られる環境になった。

気になるのは、そんな過酷な“島の守り人”の仕事に対する報酬だが、王さん夫妻の年収は3,700元(約44,000円)ほど。中国におけるサラリーマンの年収に比べると明らかに低い額だが、今年8月に政府関係者が王さんを新たに開山島村党支部書記に任命したことで、以前よりも毎月700元(約8,400円)多く支給されるようになった。

こうした生活をいつまで続けるかについて、王さんは「島での暮らしは大変ですが、25年も暮らしていると愛着も出てくるものです」と話し、これまで同様、今後も島での生活を送る意向を示している。また、妻も「夫の健康が一番。私も夫と共に島での生活を続けます」と、夫をサポートしていくつもりだ。  

ちなみに、島の若者たちは王さんの本名を知らないそう。しかし、長年にわたって“島の守り人”として暮らしてきた彼のことを、親しみを込めて“王開山”と呼んでいるそうだ。

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