坪井選手が“戦力外報道”に苦言「ニュースで知るシステムやめなアカン」。

2011/10/11 02:27 Written by Narinari.com編集部

このエントリーをはてなブックマークに追加


10月9日に球団から戦力外通告を受けたオリックスの坪井智哉外野手が、公式ブログで退団を報告すると共に、本人が正式な通告を受ける前に新聞で“戦力外”と伝えられる報道の在り方について苦言を呈している。

9日に更新されたエントリー「8打数」では、まず、「8打数2安打1打点。2011年シーズン、これが僕の全てです。そして、今シーズンを最後にオリックスのユニホームを脱ぎます」と報告。この日、球団から正式に「来季の構想に入っていない」と告げられた坪井選手は、「結果が全ての世界やからしゃーないわね」と納得はできているようで、「昨年日ハムを退団し、途方に暮れていた僕を拾ってくれたオリックスさんには、いくら感謝してもしきれません。逆にせっかく取ってもらったのに、全くチームの力になれなかった事を申し訳なく思っています」と感謝の気持ちをつづっている。

しかし、坪井選手が最初に自身の“戦力外”を知ったのは新聞報道だったそうで、「選手の戦力外をニュースを知るようなシステムだけは今後やめなアカンと思うね。どっから漏れたのか分からへんけど」と苦言。「よしんば情報を入手したとしても本人に通告されるまでは紙上に載せないっていうのが暗黙のルールちゃうんかなぁ」と配慮を求めている。

ちなみに、今回坪井選手の“戦力外”を球団発表前に伝えていたのは、10月6日付けのスポーツニッポンのみだったため、スポニチの名前を挙げた上で「新聞で戦力外を知った選手や、その家族の気持ちなんて考えないんですかね」とも。

なお、今後については「何も決まってない」とのこと。何か方向性が決まり次第、ブログで報告していくという。

坪井選手は1974年生まれの37歳。東芝から1997年のドラフト4位で阪神に入団後、独特の振り子打法からヒットの山を築き、1年目から熾烈な首位打者争いを展開、打率.327を記録した(最終的にはセ・リーグ3位)。2年目、3年目もレギュラーとして活躍したものの、その後はスランプやけがのため低迷。2002年オフに野口寿浩捕手とのトレードで日本ハムに移籍した。

日ハムでも1軍で活躍したが、けがなどで不振を極めた2006年にオフに戦力外通告。トライアウトを受けるも獲得球団が現れず、結果、大幅減俸の上で日ハムと再契約した。以降、2010年オフに2度目の戦力外通告を受けるまで日ハムでプレー。2011年はオリックスに移籍していた。

TOPへ戻る
このエントリーをはてなブックマークに追加

Copyright © Narinari.com. All rights reserved.