幻の55歳主婦歌手がデビュー、32年前に長渕剛やチャゲアスらと“共演”。

2010/07/07 13:40 Written by Narinari.com編集部

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現在、福岡市に住む55歳の専業主婦“智子”が、就職で遠くへ巣立って行った息子への想いをつづった楽曲「惜別の子守歌」で、メジャーデビューを飾ったことが明らかになった。7月7日から着うた、着うたフルの配信が始まっている。実はこの“智子”、いまから32年前に長渕剛やチャゲ&飛鳥、THE MODSらと同じ舞台に立った「幻のシンガー・ソング・ライター」なのだ。     

32年前、アマチュアの登龍門「第15回ヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテスト」(通称:ポプコン)の九州大会に蒼々たる面々と肩を並べて出場していた“智子”。当時のポプコン関係者は「彼女が出場した九州大会は、今思えば全国一ハードルの高い大会だったと思います。近い将来のメジャーデビューを薦めた関係者も、実際にオファーをかけた会社もいくつかあったと聞いていましたが、家庭の事情もありデビューへの道は一旦閉ざされた形になったと聞いています」と、そのときの状況を振り返る。

その後“智子”は結婚し、専業主婦の道を選択。日々の主婦業と長男、長女、次女と3人の子育てに追われる日々が続き、以来、30年間音楽を作ることは忘れていた。

しかし、3人目の子どもが物心つき、手がかからなくなった頃。町内の民生委員として、公民館で美空ひばりなどの演歌などを弾き語って聴かせる活動をするうちに、かつての音楽に対する情熱が蘇ったそうだ。

今回、メジャーデビューに至ったきっかけは、「福岡に主婦目線で唄う凄いシンガーソングライターがいる」という噂を聞きつけた在京プロダクションの社長が彼女の歌に惚れ込み、2008年大阪城ホールにて行われた「母に感謝のコンサート」にブッキングしたこと。コンサート会場の楽屋で南こうせつに「君にはきっと僕らには書けない曲が書けるんだね! 普通に暮らして普通に生きてきた君だからこそ書ける普通の人の気持ちの歌が……!! これからもっともっとたくさんの曲を書きなさい! それがこれからの君の使命です! 人生何が起こるか分からないからね。これからも頑張っておゆきなさい」という言葉をかけられ、これを機に“智子”は歌っていくことを決意。3年間で100曲を書き上げた。

「惜別の子守唄」は長男が東京に就職した際、毎日千葉から東京まで通う息子の身を案じて作った歌。子育てに追われ音楽から離れて30年あまりが経過し、久々に活動再開をして早々にできた歌だという。電話越しに息子が言う「頑張るから、心配しないでいいよ」の言葉に、思わず口をついて出た「頑張らなくていいんだよ!疲れたらいつでも帰っておいで!」と言った一言が膨らみ、一曲の歌になった。

今回のメジャーデビューについて智子は「凄く嬉しいです。息子への想いを素直に綴ったプライベートな歌ですが、あまりの反響の大きさに驚いています。子を想う親の気持ちは皆同じなのだと言うことを改めて知りました」とコメント。

また、32年前のポプコン出場の際に「長渕さんはコンテスト会場の楽屋で、私が持っていたギターに興味を持ち、弾かせて欲しいと話しかけて来たので、弾いてもらったところ、とても気に入ったらしく、熱心に売ってくれないか……と言われたのを覚えています。もちろん売りませんでしたが……」「チャゲ&飛鳥さんはポプコン出場歴では少し先輩の私の存在をすでに知ってくれていて、本番を待つ楽屋で小さくなっていた私に、心をほぐしてくれるかのように気さくに声をかけてくれたことを覚えています」といった、若かりし頃のエピソードを明かしている。


☆“智子”の歩み
1979年8月 結婚。以後30年間、専業主婦として3人の子どもを育てあげる。
2007年3月 突然楽曲創作を再開、以後、日記を綴るように曲作りに没頭。
2007年6月 CD「青春気分」を自主制作、手作りのCDが評判を呼ぶ。
2007年7月 「詩の朗読会」のゲストとして歌ったのがきっかけとなり、30年ぶりにライブ活動をスタート。
2008年3月 シャンソン歌手クミコに提供した楽曲「ブラボー!」で作家デビュー。
2008年5月 CD「青春気分」インディーズ・レーベルより全国販売開始。
2008年5月 大阪城ホール「母に感謝のコンサート」12,000人の前で初の弾き語り披露。
2009年3月 「惜別の子守唄」が夏川りみのアルバム「こころのうた」に収録される。

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