2年間浪人の大塚晶則投手が心境明かす、桑田氏の言葉を胸に辛抱の日々。

2010/01/22 10:07 Written by Narinari.com編集部

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メジャーに在籍した2004〜2007年の4シーズンで236試合に登板し、2004年には最多ホールド賞を獲得、同年には日米野球のメジャー選抜メンバーとして来日も果たした大塚晶則投手。しかし、そうした輝かしい実績を残しながらも、2007年に最後の所属球団であるレンジャースを退団以降は、あまり動向が伝えられることなく現在に至っている。先日、57歳で亡くなった小林繁さんの告別式では弔辞を読み上げ、改めて現役続行を誓ったという話題は久々に多くのスポーツ紙の紙面を飾ったが、1月22日には約9か月ぶりに公式ブログを更新。現在の心境を明かしている。

22日に更新されたエントリー「3度目の手術」では、「今日、3度目の手術をします」と、これから手術を受けることを報告。大塚投手は「2007年に肘を痛めて以来ずっと、治療と手術、そしてリハビリとトレーニングの日々」を過ごしてきたが、「2回の手術を受けましたが、術後の経過は、調子が良くなったり悪くなったりの繰り返し」だったそうだ。

具体的には「ボールを投げる段階まで回復はしても、それでも痛みはなかなか消えることはなく、なにか違和感が残る…」といった状態で、「マウンドに戻りたい気持ちはもちろんあるのですが、自分自身で『これで大丈夫だ』という確信が持てない」ため、「自信を持ってマウンドに立てる日は、一体いつになるのだろうと、不安に苛まれることも何度もありました」と胸中をつづっている。

ただ、そうした長期にわたるリハビリの間も「僕は一度も諦めようと思ったことはありません」。大塚投手の心を支えているのは「辛抱」の二文字で、これは「桑田さんからいただいた言葉」だという。「ひたすら辛抱、辛抱の毎日でしたが、この辛抱の日々にも何か必ず意味がある、この辛抱の日々が必ず報われるときが来ると信じて頑張っています」と、再びマウンドに帰れる日を信じて、3度目の手術後に待ち受けるリハビリに取り組む構えだ。

大塚投手は1996年のドラフト2位で近鉄に入団。主にクローザーとして活躍後、2002年オフにポスティングでメジャー移籍を目指すも入札がなく、近鉄と揉めた末に中日へトレード。中日に在籍した2003年は51試合に登板、1勝3敗17セーブ、防御率2.09の成績を残したものの、同年オフに再びポスティングに臨み、パドレスへの入団を決めた。

以降、2004・2005年はパドレスの中継ぎ投手として活躍。特に1年目の2004年は73試合に登板し、7勝2敗2セーブ34ホールド、防御率1.75の驚異的な成績を残した。2006年にはレンジャースにトレードされたが、同年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表として優勝に貢献している。

日米の通算成績は541試合に登板、27勝38敗176セーブ74ホールド、防御率2.41。

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