グレイシー柔術の創始者エリオさんが死去、総合格闘技の先駆け。

2009/01/30 16:05 Written by コジマ

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1990年代の総合格闘技ブームとともに颯爽と現れ、世界の格闘技界を席巻したグレイシー柔術。特に、米総合格闘技イベントUFCで細身ながら大男たちを次々に倒したホイス・グレイシー選手は、世界の格闘技ファンに衝撃を与えた。

また、兄で「400戦無敗の男」の異名を持つヒクソン・グレイシー選手も日本のリングに上がり、高田延彦選手や船木誠勝選手らと対戦。従兄弟のヘンゾ選手やハイアン選手も、ライバルの桜庭和志選手らとともに日本の総合格闘技発展に貢献している。

そんなグレイシー柔術の創始者であるエリオ・グレイシーさんが、ブラジル・リオデジャネイロ郊外の病院で息を引き取った。95歳だった。エリオさんはヒクソン選手やホイス選手らの父であり、日本の古武術・柔術をグレイシー柔術に発展させた人物。また、総合格闘技の先駆者としても知られている。

ヒクソン、ホイス両選手のセコンドに立っていたことでも有名なエリオさん。柔術との出会いは、1920年代に講道館黎明期の柔道家、前田光世から教えを受けたことに始まる。

その後、兄のカーロス(94年に死去)らとともにグレイシー柔術の技術体系を構築し、30年代から「バーリ・トゥード」と呼ばれる総合格闘技の試合に出場。50年代には日本の柔道家である加藤幸夫や木村政彦、米国のプロレスラーらと名勝負を繰り広げ、ブラジルスポーツ界の英雄として人々の称賛を受けていた。エリオさんとの対戦で木村政彦がかけた「腕がらみ」は、ブラジリアン柔術界で「キムラロック」として浸透している。

55年に現役を退き、指導者に転進。90歳を過ぎても精力的に後進の指導にあたっていた。その精神は、日本をはじめ世界中に受け継がれている。現在の総合格闘技を構築したと言っても過言ではないエリオさん。95歳での大往生とはいえ、その死を惜しむ声はグレイシー柔術ファンだけでなく、広く総合格闘技ファン全体から上がっている。

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