母の反対乗り越え交際3年、謹慎生活支えた織田信成の彼女。

2008/12/20 23:36 Written by コジマ

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昨年7月にミニバイクの酒気帯び運転で摘発され、出場停止処分と活動自粛で昨季を棒に振ったフィギュアスケートの織田信成選手(関大)。2006-07年シーズンは先輩の高橋大輔選手(関大大学院)に次ぐ成績を残し、昨季前の仕上がりが非常に良かったことから、スケート関係者やファンは突然の不祥事による欠場を大いに残念がった。

こうした謹慎期間を経て織田選手は、10月に行われたカールシェーファーメモリアル(KSM)で競技に復帰。今春からニコライ・モロゾフ氏のもとで鍛えられた滑りはブランクを感じさせず、11月のグランプリ(GP)シリーズNHK杯まで今季全勝と完全復活を遂げている。

NHK杯優勝後のインタビューでは「試合に出られなかったことは人生の糧になった」(時事通信より)と謹慎期間を振り返った織田選手だが、そのつらい時期を乗り越えられたのは友人たちと彼女の支えがあったからこそと、週刊誌「女性自身」が最新号で報じている。

織田選手は、不祥事の謝罪会見で「応援・支援してくださった多くの人の信頼を裏切り、申し訳ありません。自分を戒めて練習に励みます」と涙ながらに謝罪。自らが引き起こした事態とはいえその落胆は相当だったようで、心配した親友の安藤美姫選手(トヨタ自動車)が連絡しても電話に出なかったという。また、昨年12月の全日本選手権では直前に「過度の精神的重圧」を理由に欠場した。

そんな織田選手の心を救ったのは、彼を「殿」の愛称で呼ぶ同級生たち。彼らは「殿を励ます会」を開き、失意の織田選手を勇気付けたという。さらに、同級生たち以上に献身的に織田選手を支え続け、復帰の原動力となったのが彼女の存在だ。

織田選手の彼女は中学の同級生で、05年に開かれた同窓会で再会。中学のときは気になる存在ではなかったものの、女性らしくなった彼女に織田選手がぞっこんになったそうだ。同窓会の数日後、改めて喫茶店で彼女に会って交際したいと頭を下げたという、織田選手らしいエピソードも伝えられている。

同年末に彼女がメールで返事し交際がスタートしたが、コーチでもある織田選手の母・憲子さんは練習への影響を懸念し、交際をやめるよう厳命。しかし、親の目を盗んで交際を続け、謹慎時には自宅で悶々とする織田選手に手料理を振舞ったり、話し相手になったりして支え続けたという。同級生たちも「彼女がいなかったら殿の復活もなかった」(同誌より)と語っている。

NHK杯ではフリーで4回転ジャンプをミスしたことなどから、「まだお客さんも満足していないのでは。満足してもらえる演技をして、初めて恩返しと言えると思う」(時事通信より)と語っていた織田選手。12月25〜27日の全日本選手権では、支え続けてくれた彼女や同級生、そしてファンのためにも、4回転ジャンプを成功させて金メダルを獲得することが期待される。

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