戦力外通告が解禁、巨人の野口茂樹投手や西武の種田仁内野手ら28人。

2008/10/01 20:47 Written by Narinari.com編集部

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プロ野球のシーズンも佳境に入ると、徐々に聞こえてくるのが戦力外通告の話題。長年一線で活躍してきたベテラン選手や来季の構想から外れた選手が球団を去るこの季節は寂しいものだが、10月1日、第1次の戦力外通告が解禁となり、対象となった28選手の名前が発表された。

発表された戦力外通告選手は次のとおり。

[巨人]姜建銘投手/野口茂樹投手/加登脇卓真投手/梅田浩外野手
[横浜]染田賢作投手/土肥義弘投手/入来祐作投手/橋本太郎投手/河野友軌外野手/小関竜也外野手/西崎伸洋外野手
[楽天]佐藤宏志投手/戸部浩投手/木村考壱朗捕手/吉岡雄二内野手/沖原佳典内野手/森谷昭仁外野手/鷹野史寿外野手/高波文一外野手
[西武]東和政投手/種田仁内野手/貝塚政秀外野手
[ロッテ]浅間敬太投手/三島輝史投手/木興拓哉投手/末永仁志投手/田中良平投手/柳田将利投手

巨人の野口茂樹投手は、中日時代に最優秀防御率(1998年、2001年)や最多奪三振(2001年)、セ・リーグのMVP(1999年)にも輝いた球界を代表する左腕。2005年オフにFA権を行使して巨人に移籍したものの、1年目の2006年は1試合の登板にとどまり、0勝0敗、防御率9.00。2年目の2007年は主に中継ぎとして31試合に登板し、1勝1敗、防御率4.30。そして2008年は登板なしと、「FA補強」の期待に応える活躍を見せることができなかった。

同じく巨人の姜建銘投手は、台湾のアマチュアからマリナーズのオファーを断って巨人に入団。2006年は10試合に登板し、3勝2敗、防御率1.81と活躍したものの、2007年はピッチングが安定せずに17試合2勝4敗、防御率5.18。そして2008年は1軍での登板はゼロだった。まだ23歳と若い投手だが、通常の外国人選手と同じように早い段階でのシビアな判断に至ったようだ。

横浜の入来祐作投手は、1996年にドラフト1位で巨人入団後、日本ハム、メッツ、ブルージェイズ(マイナー契約)、横浜と渡り歩いた右腕。巨人在籍時の2003年オフに、代理人を伴ってポスティングによるメジャー移籍を直訴し、これが球団の逆鱗に触れて日本ハムに「懲罰」トレードに出されたり、2006年にメッツ傘下の3Aノーフォーク在籍時には、メジャーの薬物規定に抵触したとの理由で50試合の出場停止処分を受けたこともあるなど、エピソードの絶えない選手だった。2008年は春先に3試合登板したが結果が出ず、2軍暮らしが続いていた。

同じく横浜の小関竜也外野手は、投手として1994年のドラフト2位で西武に入団。野手に転向後、1998年にはレギュラーに定着して新人王を獲得、2002年には自身最高の成績となる打率.314をマークしている。走攻守揃った選手として活躍したが、次第に成績が低迷し、2005年オフに大幅減俸を提示されたことをきっかけにメジャー挑戦を表明。ブルワーズとマイナー契約を結ぶもメジャー昇格は果たせず帰国、その後は巨人、横浜と渡り歩いた。

楽天の吉岡雄二内野手は帝京高校のエースとして注目を集め、1989年に巨人に入団。2軍では結果を残すものの、1軍では活躍できないまま近鉄に放出されたが、近鉄ではレギュラーに定着し、スラッガーとして活躍した。特に2001年と2002年のシーズンは2年連続で26本塁打を放っている。2004年オフには分配ドラフトで楽天に移籍。1年目の2005年は主軸として活躍したが、その後は成績が低迷していた。

西武の種田仁内野手は「ガニ股打法」でおなじみのバッティングフォームに特徴のある選手。昨年オフ、横浜から戦力外通告を受けたあと、本人の現役続行の意思を汲んで西武が獲得したものの、2008年は1軍の試合に出場することはできなかった。

戦力外通告の期間は、第1次がペナントレース全日程終了の翌日まで、第2次がセ・リーグのクライマックスシリーズ翌日から日本シリーズ終了の翌日までと定められている。

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