男子バレー「ニッポンの大砲」が北京五輪を総括、植田監督批判も。

2008/08/22 21:12 Written by Narinari.com編集部

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1992年のバルセロナ五輪以来、4大会ぶり(16年ぶり)の五輪出場を果たしたバレーボールの植田ジャパン。6月の世界最終予選で世界ランキング6位のアルゼンチンを破り、北京五輪への出場を決めた瞬間に植田辰哉監督が倒れ込んだシーンは何度もメディアに登場、今年のスポーツ界を語る上で欠かすことのできない、屈指の名シーンとなったのは記憶に新しいところだ。

そんな植田ジャパンは、本番の北京五輪では1勝も挙げることができず、1次リーグ5戦全敗の6位で終戦。これはバレーボールが正式種目になった東京五輪から、日本の男子が出場した全8大会で最低の成績で、全敗は初めてのケースとなった。世界の壁は厚かった……という側面は確かにあるのだが、その裏側では、どうやらチームが一丸となって勝利に固執することができなかった事情が存在していたようだ。

植田ジャパンの中心選手の一人で、「ニッポンの大砲」と呼ばれる山本隆弘選手が、20日に更新したブログで次のような監督批判ともとれる記述をしている。

「俺の納得いかないままオリンピックは終わってしまった。不満だらけの内容だったよ。確かに自分のパフォーマンスも出来ていなかったかもしれない。ミスも多かった。それは認める」
「でもそれ以前にそうゆう状況にもっていけなかった。もっていかせてくれなかった。今まで頑張ってきたのはなんだったのか。中国戦から『若手を育てたい』って、若手を育てるのはオリンピックの時期?」
「『このチームはオリンピック出場する為のチームだった。次はオリンピックで勝てるチームを作る』後2試合残してこの発言も俺には全く理解出来なかったよ。本当に悔しい。オリンピックってこんなもんじゃないよな〜」

8月10日のイタリア戦と12日のブルガリアに連敗して臨んだ14日の中国戦。山本選手によれば、この時点で植田監督は「若手を育てたい」と、「ひとつでも多くの勝ち星を」との目標をあきらめたかのような方針に切り替えていたという。そのため、少なくとも山本選手は「全く理解出来なかった」「本当に悔しい」とモチベーションが下がってしまったようだ。

この監督批判は、自身も3度の五輪出場経験があり、今回の植田ジャパンにも密着していた大林素子にも衝撃を与えたようで、ブログに次のようにコメントしている。

「本人からは、あれが本当の気持ちだから、と聞きました。改めて読んでみて、涙が出てきました。簡単に書ける事ではないから、本当は触れたくない話です」
「勝つ為にやってきたから、勝利が全てだったり、監督が束ね、進む方向を決めるのが、チームスポーツ。我々の宿命です」
「私も3度の五輪で、色々ありました。勝負の世界だから、勝ち負けは、仕方ない。でも、チームで方向を見失うのは、一番辛い事」

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