トルシエ元日本代表監督、東京スポーツに「俊輔外し」の真相語る。

2008/06/24 23:40 Written by コジマ

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1998年からサッカー日本代表の指揮を執り、00年のシドニー五輪でベスト8、02年の日韓ワールドカップ(W杯)では史上初の決勝トーナメント進出(ベスト16)に導いたフィリップ・トルシエ監督。守備戦術「フラットスリー」などが高く評価されており、代表監督復帰を望む声は少なくない。

こうして日本サッカー史上に大きな功績を残し、日本フットボールリーグ(JFL)所属のFC琉球で総監督を務めている現在は今春の選抜高校野球で沖縄尚学の応援に駆けつけるなど沖縄と積極的に関わっているトルシエ監督だが、日本人の記憶から消えないのは02年の日韓W杯で中村俊輔選手(現セルティック)を代表から外したこと。6年が経過したいまも賛否が分かれているこの“問題”について、真相を東京スポーツに語っている。

99年のシドニー五輪予選では中田英寿選手(当時ペルージャ)に代わって中村選手を司令塔に抜擢し、翌年の五輪本大会などでも起用したトルシエ監督だが、01年のAFC/OFCチャレンジカップやキリンカップでは招集したものの出場機会を与えなかった。これに対して中村選手は憤慨して怒りのコメントを公に語り、トルシエ監督も辛らつな言葉で応戦するなど両者の確執が露呈。02年のW杯ではついに中村選手が代表から外された。

その後、中村選手は「代表選手以上の成長」を誓ってイタリア1部リーグのレッジーナへ移籍(レアル・マドリードからもオファーがあったものの代表落選で白紙に)し、これをバネに世界でもトップレベルの選手に成長したが、当時は中村選手の個人技のスタイルをトルシエ監督が嫌ったことや宗教上の理由などがまことしやかにささやかれていた。

今回のインタビューでは、トルシエ監督は「俊輔についてハッキリ言いたいのは、02年当時と今では全く比較にならないということだ」(東京スポーツより)とし、試合に出場させなかったことや代表から外した理由として「そのポストには中田英もいたし、森島(寛晃)、小野(伸二)、名波(浩)もいたんだよ。彼以上に成熟した選手がたくさんいた」「もちろん、ポテンシャルを買ってメンバーに選ぶこともあり得た。ただ、彼は(足首)を故障していた。W杯直前に3週間のスペイン合宿に彼を連れて行ったが、一度もみんなと同じ練習メニューができなかった」(同)としている。早期回復も期待したようだが、それが現実にならなかったため三都主アレサンドロ選手(現浦和)を起用したという。

現在の中村選手に対しては「今は誰も彼と肩を並べられる選手がいない」と絶賛しながらも、もし現在代表の指揮を執っていて中村選手がケガをしているならば「同じ結果になる」と述べている。

このほか、現在の日本代表について、岡田武史監督の過去の実績を「失敗」としたうえで、再び代表監督に挑戦したことに賛辞を送り、南アフリカW杯最終予選に進出したことに「私は『ブラボー』と言いたい」と喜んでいるようだ。

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