野球解説者の加藤博一さんが肺がんで死去、病床でもコラム執筆。

2008/01/21 23:04 Written by コジマ

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横浜が大洋と名乗っていた1980年代、俊足巧打の1〜3番打者として人気だったのが高木豊、加藤博一、屋敷要の3選手による「スーパーカートリオ」。当時はチームが低迷していたものの、85年には3人で148盗塁を記録するなどマスコミやファンからの注目を浴びていた。06年7月には試合前のイベントとして、スーパーカートリオと元広島の川口和久、達川光男両氏のバッテリーによる対決(打者は当時四番だった田代富雄・横浜2軍監督)が行われたのだ。

その中でも明るいキャラクターでひときわ高い人気を誇ったのが、加藤博一選手。横浜スタジアムの「ひろかずコール」から「蒲田行進曲」につながる応援は盛大で、逆側のスタンドで見ていても壮観だった。また、親しみやすい性格は82年に去った阪神のファンからも愛され続けていたのだ。

加藤さんの人気は90年に引退した後も衰えず、フジテレビの野球解説に就任。「歌って踊って笑いの取れる野球解説者」を自任していた。現役時代から出演していたフジテレビ系「プロ野球ニュース」(現「すぽると!」)にも登場し、勢いのある解説や軽妙なトークで楽しませてくれたのだ。06年9月からは、MSNスポーツにコラム「ひろかずの球心を突く」を執筆していた。

その加藤さんが1月21日、肺がんのため横須賀市内の病院で亡くなってしまったのだ。加藤さんは2年前に肺がんと診断され、昨年2月には左肺を摘出。その後の経過は順調で、「すぽると!」などで米大リーグのキャンプなどを取材していた。しかし、同年7月に左太ももの骨など複数箇所にがんが転移していることが明らかになり、入退院を繰り返すようになった。阪神時代の先輩である野球解説者の江本孟紀氏によると「昨年11月にお見舞いに行った時には、4月までには治して仕事を頑張ると言っていた」(スポーツニッポンより)そうだけど、今年に入ってから容態が悪化し、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。

56歳という早過ぎる死に、「スーパーカートリオ」を結成していた野球解説者の高木豊氏は「本当に残念。まだまだこれからいろんなことができたと思う。人を大事にする方。兄貴みたいな存在だった。」(時事通信より)とし、元同僚の田代富雄監督は「ああいう明るいキャラクターだったけれど、野球に対してはすごくまじめで、心から愛していた人。一緒にプレーでき、いい勉強になった。とても残念です」(同)と語っている。

転移が判明してから執筆を開始した「ひろかずの球心を突く」では、闘病していることを感じさせないほどのユーモアと熱さあふれる文章で早大の斎藤佑樹投手からプロ野球、日米野球、大リーグに至るまでを解説してくれた。この連載は病床でも執筆しており、最終稿となってしまった12月7日の「第19回 五輪代表に感激! そして感謝!」では、日の丸を背負って戦った日本代表選手と星野仙一監督に惜しみない賛辞を送りながら、「しかしまだ終わりじゃありません。来年の8月には北京での戦いが控えています。日本代表が成田に帰ってきた時には、胸に金メダルを下げて帰ってきてほしい!」と、北京五輪での活躍に胸を躍らせていたのだ。

こうして、最後の最後まで野球への情熱とファンへのサービス精神を持ち続けていた加藤さん。野球ファンの1人としてありがとうと言いたい。いまは、闘病で疲れた心をゆっくりと休めてほしいのだ。

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