世界GP3度優勝の天才ライダー、「ノリック」阿部典史さんが事故死。

2007/10/08 09:20 Written by コジマ

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大排気量のオートバイがしのぎを削る二輪ロードレースの最高峰、ロードレース世界選手権。その最高クラスであるMotoGPは、GP500(500ccが上限)だった2001年からイタリアのバレンティーノ・ロッシ選手(ホンダ→ヤマハ)が5連覇していたのだけど、昨年は米国のニッキー・ヘイデン選手(ホンダ)がこれをストップ。今季はあと3戦を残しながらも、9月23日に行われた日本GPでケーシー・ストーナー選手(ドゥカティ)が年間王者の座を獲得したのだ。

ロードレース世界選手権は49年の初開催以来、最高クラスはGP500だったのだけど、02年から4ストロークエンジンで990ccを上限(2ストロークは500cc以下)としたMotoGPクラスに変更。これによってロードレース世界選手権の略称もWGPからMotoGPとなったのだ。今季からは、800ccを上限とし、2ストロークエンジンを使用禁止にしている。

まだWGPと呼ばれ、最高クラスがGP500だった頃、ロードレース世界選手権で3度も優勝した日本人選手がいる。それが、「ノリック」こと阿部典史選手なのだ。阿部選手はオートレース選手を父に持ち、わずか13歳でレースデビュー。93年には国内最高峰の全日本ロードレース選手権のGP500(当時最高クラス)に参戦し、史上最年少となる18歳で年間王者となっている。翌年にはWGPの日本GPに出場し、前年度王者のケビン・シュワンツ選手や、その年の王者となったマイケル・ドゥーハン選手とトップ争いを繰り広げた。残り3周で転倒しリタイアしたものの、強烈な印象を残すデビュー戦となったのだ。翌年からフル参戦している。

96年には日本GPで初優勝を果たし、99年のリオGP、00年の日本GPでも優勝している。日本人選手で世界ロードレース選手権の最高クラスで3度優勝したのは、阿部選手よりちょっと前から活躍していた岡田忠之選手(4回)だけなのだ。阿部選手の最高ランキングは98、99年、そしてMotoGPに変わった02年の6位となっている。その超攻撃的なライディングスタイルはロッシ選手からも尊敬され、ロッシ選手のマシンには自身の名前と阿部選手の名前をかけ合わせた「ろっしふみ がんばって!」というステッカーが貼られている。

その阿部選手が、10月7日に事故で亡くなった。神奈川県川崎市内を500ccのスクーターで走行していた阿部選手は、Uターン禁止場所で急転回した4トントラックと衝突し、約2時間後の午後8時50分頃、搬送先の病院で死亡が確認されたのだ。トラックの運転手は自動車運転過失致死の疑いで警察が事情を聞いており、「道を間違えたので戻ろうとした」(朝日新聞より)と話しているのだそう。

阿部選手は05年に市販車で競うスーパーバイク世界選手権に戦いの場を移し、今季からは13年ぶりに全日本ロード選手権の最高クラス(JSB1000クラス)に参戦。日本のファンからは大歓迎され、6戦を終えて総合3位に位置していた。自身の公式サイトにあるコラムでは9月30日に岡山国際サーキットで開催された第6戦の感想とともに、10月21日に鈴鹿サーキットで行われる第7戦への意気込みが書かれていたのだ。

日本人ライダーの事故死というと、03年にMotoGP日本GPでレース中の事故により亡くなった加藤大治郎選手(同年日本人初のMotoGP殿堂入り、ゼッケン74は永久欠番に)が有名で、今年8月にも全日本ロード選手権(ST600クラス)第5戦で奥野正雄選手が転倒して意識不明の重体となり、9月26日に亡くなったばかり。奥野選手の死については、阿部選手もコラムで言及していた。そこではオートバイレースが危険なスポーツであること、そしてレースの安全性向上を訴えていたのだ。

同学年の天才ライダーが32歳という若さで、しかもサーキットの外で事故死したことは、残念でならない。本人もさぞかし無念だったのではないだろうか。5歳でバイクに乗り始めてから文字通り駆け抜けた人生、いまはゆっくりと休んでほしいのだ。

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