全盛期には遠く、ロッテが「ジョニー」黒木知宏投手に戦力外通告。

2007/10/03 10:32 Written by コ○助

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今でこそ常にパ・リーグの上位争いを見せるロッテなりが、1990年代は暗黒の時代。バレンタイン監督(第1期)が率いた1995年に2位躍進を見せた以外はすべてBクラスで、最下位を4度、5位も4度経験しているなりよ。同時期にセ・リーグで阪神がそうだったように、口の悪い野球ファンからは「たけし軍団より弱い」と揶揄されることもしばしばだったなりよね。

そんな低迷期の真っ只中、1994年のドラフト2位で王子製紙春日井からロッテに入団したのが黒木知宏投手だったなり。即戦力として期待されて入団した黒木投手はバレンタイン監督(当時)からも厚い信頼を受け、入団1年目の1995年からフル回転。チーム躍進の一助になったなりよ。そして、翌1996年には小宮山悟投手と共にロッテの2枚看板として活躍、以降、1997年から2001年まで5年連続二ケタ勝利を挙げ、2000年にはシドニー五輪の日本代表にも選ばれたなりね。

でも、そんな黒木投手を悪夢が襲ったのは、2001年のこと。誰もが認めるパ・リーグの大投手に成長していた黒木投手は、開幕から破竹の9連勝を飾り、前半戦だけで11勝をマーク。その時点で右肩痛を発症していたものの、オールスターファン投票で1位に選出されたために強行出場したことが仇となり、それからずっと投げられない状態に陥ってしまったなりね。2002年、2003年と丸2年をリハビリに費やし、2004年にはようやく1軍でも投げられる状態にはなったなりが、全盛期のピッチングにはほど遠く。もう二度と、当時の球が戻ることはなかったなりよ。

2004年が7試合、1勝3敗0セーブ、防御率4.41。2005年が3試合、2勝1敗0セーブ、防御率4.58。2006年が5試合、0勝0敗1セーブ、防御率6.75。そして今年が1試合、0勝0敗0セーブ、防御率0.00。4年に渡って全く結果を残せていない以上、球団の功労者であってもそろそろまずそうな雰囲気はあったなりが、残念ながら10月2日、戦力外が通告されてしまったなりよ。

黒木投手自身はまだ33歳ということ、そして現時点で大きなケガを抱えているわけではないことから、現役続行を希望。11月に行われる合同トライアウトに挑戦し、他球団への移籍の道を模索するというなり。ロッテ一筋13年間、「ジョニー」の愛称で親しまれてきた黒木投手。ファンにとっては複雑な心境だとは思うなりが、一時代を築いた大投手だけに、一日も長く現役を続けられると良いなりね。合同トライアウト、頑張って欲しいものなり。

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