広島の前田智徳外野手、ケガを乗り越え史上36人目の偉業達成。

2007/09/02 06:54 Written by コジマ

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1989年夏、第71回全国高等学校野球選手権の熊本県大会決勝戦。熊本市内にある藤崎台県営野球場では、県内屈指の名門校である熊本工業と東海大二高が対戦していた。0-1と東海大二高リードで迎えた四回、熊本工業の4番である主将が打席に立った。マウンド上はサウスポーの中尾篤孝投手。のちに協和発酵硬式野球部に進む県内屈指の好投手だったが、打者も県下に響いた強打者。東海大二高のベンチは、「敬遠してもいい」という指示を送った。

中尾投手は指示どおりにボールを2球投じる。すると、険しい表情をした打者がバットを持ったままマウンドへと歩み寄り、中尾投手も臨戦態勢。不穏な空気が流れる球場で、打者は投手にこう言い放った「ストライク入れんかい!」。慌てて割って入った球審によっておさまったものの、打者の恫喝に「なんやとぉ!」と返した中尾投手は、ベンチの指示を無視して内角に渾身の直球を投げ込む。その球を打者がフルスイングすると、ライナー性の打球はぐんぐんと伸びて左翼席中段に突き刺さり、熊本工業は甲子園の切符を手に入れた。

冒頭から長いエピソードを紹介してしまったけど、この打者こそがのちに「孤高の天才」といわれる広島の前田智徳外野手。独自の美学を持っていることから「サムライ」ともあだ名される同外野手らしい逸話なのだ。

その前田外野手が、9月1日の中日戦でプロ野球史上で36人目となる2000本安打を達成した。高校の先輩である「打撃の神様」こと川上哲治氏に、また一歩近づいたのだ。前田外野手の天才的な打撃センスは、シアトル・マリナーズのイチロー外野手やニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜外野手ら現役選手だけでなく、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督や中日の落合博光監督をはじめとしたOBも認めているのだけど、18年目、1895試合目にしてようやくの達成。ここまで到達するのに、相当の困難を伴っていたのだ。

夏の甲子園の2回戦で敗れた前田外野手は、89年にドラフト4位で広島に入団した。各球団の競合が予想されたのだけど、ドラフト会議直前に「後輩の仕返しのために、前田が他校へ単身乗り込んだ」という怪文章が飛び交ったためなのだとか。この風評を恐れなかった広島の村上孝雄スカウト(当時)が後押しして入団することになったのだ。

2年目の91年開幕戦に初回先頭打者本塁打(プロ入り初本塁打)を記録し、翌年には打率3割を達成。93年も3割をマークし、94年には中日にいたアロンゾ・パウエル外野手と首位打者を争ったのだ。ちなみに、この後も規定打席に達したシーズンは03年を除いてすべて打率3割台を記録しているのだけど、タイトルは1回も取れていない。98年に横浜の鈴木尚典外野手と首位打者争いをしているのだけど、横浜・権藤博監督(当時)の「前田全打席敬遠宣言」を受けて、「ファンにみっともないものを見せたくない」とし、直接対決の最終戦を欠場したのだ。

しかし、95年5月のヤクルト戦で右足のアキレス腱を断裂する大ケガを負ってしまう。遊撃手だったヤクルトの池山隆寛内野手(当時)が「ブチッ」という音がはっきり聞こえたほどで、そのシーズンは長期欠場。憧れていた大リーグへの夢も、それ以降は口にしなくなったのだ。96年に復帰するものの、開幕間もない4月の阪神戦で右ももを痛め、「この右足はもう元どおりにならないだろうし、いっそのこと左足も切れてほしい」と語り、満足にプレーできないことから「オレの野球人生は終わった」「前田智徳という打者は死にました。プレーしているのは弟です」など弱気な発言が目立った。それでも96〜99年は3割をキープしているのだけど。

00年に左足のアキレス腱にも断裂の恐れが出たため手術し、翌年もケガによる不調が続いた。自身が「ガラクタ」と評するボロボロの体の背景には、復帰後は特に激しくなったという猛練習があるようなのだ。しかし、この練習がチームメイトを刺激し、広島は「12球団で一番練習する球団」といわれるほどになった。前出の村上・元スカウトは「あれがなければ金本(元広島、現阪神)もここまでにならなかったんじゃないかな」(時事通信より)と評している。02年にカムバック賞を受賞し、05年には念願の全試合出場を果たした。

こうした艱難辛苦を乗り越えて2000本安打を達成した前田外野手。インタビューでもあくまで自分に厳しく、そして人への感謝を忘れない姿勢を貫いており、「自分個人のことでここまで騒がれるのが、自分としては残念。チームのここまでの戦いを考えると悔しい思いばかり。責任を感じています」(サンケイスポーツより)、「今日のことは一生忘れることがない。皆さんに感謝したい」(日刊スポーツより)など、記録達成よりも涙ながらに自分の不甲斐なさを嘆いたり周りに気遣ったりする姿に、ひどく感動させられたのだ。

この偉業達成について、広島の松田元オーナーやマーティ・ブラウン監督、OBである山本浩二氏、衣笠祥雄氏、野村謙二郎氏のほか、高校の先輩である川上哲治氏と西武の伊東勤監督、元チームメイトである西武の江藤智内野手、5月に同じく2000本安打を達成した日本ハムの田中幸雄内野手、対戦相手だった中日の落合監督と立浪和義内野手など、多くの関係者から祝福のコメントが寄せられている。みな一様に、前田外野手の努力を称えているのが印象的なのだ。

04年から3年連続でリーグ三振最少記録を達成し、打率3割到達11回、外野手としての105捕殺(昨季終了時)は、ともに現役最多。「たら、れば」を言うとキリがないけれど、大リーグ日本人野手1号になっていた可能性が高かっただけに、度重なるケガが本当に悔やまれる。でも、今回の2000本安打達成によって、さらにプロ野球を盛り上げていってほしいのだ。本当におめでとうございます。

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