世界初のバーチャルアイドル・伊達杏子が復活「時代が追いついた」。

2007/08/18 05:18 Written by コ○助

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あれはコ○助がまだ学生時代のこと。当時、あまり電脳系の話題にも、アイドルの話題にもさして詳しくはなかったコ○助に、その筋の情報を教授してくれる友だちがいたなりよ。ある日、その友だちが「これ聞いてみてよ」と言いながら、「LOVE COMMUNICATION」なる楽曲のCDを持ってきたなりね。時は1996年の秋。世の中では知念里奈が「DO-DO FOR ME」でデビューした頃のことなり。

意外とポップな感じの楽曲だった「LOVE COMMUNICATION」は、心の琴線に触れるようなものではなかったなりが、かといって酷い曲というわけでもなく。でも、友だちはずいぶんとハマってしまったようで、この歌を歌うアーティストのことを詳しくコ○助に教えてくれたなりよ。アーティストの名前は伊達杏子DK-96(その後DK-97に改名)。ホリプロが「世界初のバーチャルアイドル」という触れ込みで大々的に売り出した、フルCGの異色アイドルだったなり。

伊達杏子はホリプロが仕掛けていただけあって、デビュー当初はかなり派手なプロモーションを展開していたなり。ラジオに出演したり、雑誌に登場したりと、順調に活躍……しかけていたなりが、表情やポーズを変えるのに数日もかかるなど、CGであるがゆえの苦労が仇となって徐々に出演機会が激減。気がついた時には姿を消していたなりよ。あ、でも米国のTIME誌に掲載されたり、韓国でデビューしたことも(バーチャルなので言語の壁も問題なし)。業界や海外からの注目度は結構高かったのかもしれないなりね。

ただ、世間一般からはほとんど注目されずに消えたのは事実。そんな伊達杏子にも関わらず、コ○助は友だちに恵まれていたため、デビュー曲(にしてラストの曲)も聞いたし、ラジオもチェックしたし、雑誌も見たし……と、比較的、伊達杏子と密度の濃い時間を過ごしたなりよ(笑)。有り難いやら何やら。いや、でもこうして今懐かしめるだけでも、友だちには感謝しなければいけないなりね。

それからしばらくして、再び伊達杏子が話題になったのは2001年のこと。当時のNarinari.comでも「元祖CGアイドルの伊達杏子を金髪&巨乳化した『DK2001』がデビュー」とこの話題に触れており、「2代目の『DK2001』は時代が追いついてきたこともあって、開発費5,000万円を投じた期待のプロジェクト」と紹介していたなり。当時のITmediaの記事によると、この2代目の伊達杏子は金沢工業大学のネット大学サイト「高校生のためのエンターテイメント工科大学」のナビゲーションを務めていたそう。

ただ、初代と2代目にはあまりに見た目の違いがあり、「コンセプトだけを引き継いだ別物」と評価する初代ファン(?)は少なくなかったなりよ。コ○助も2代目には違和感を感じていたクチ。また、初代同様、CGっぽさが全快だったために感情移入がしづらく、やはりそれほど間を置かずして姿を消してしまったなりね。

そして、6年の月日が流れたなり。伊達杏子のことを覚えている&知っている人がどれくらいいるのかは分からないなりが、2007年になったいま、少なくともコ○助にとっては衝撃のニュースを目にすることになったなりね。「伊達杏子復活」。その文字をスポーツニッポンで見かけたとき、一瞬目がおかしくなったかと思ったほどなりよ。

スポーツニッポンによると、今回の伊達杏子は「セカンドライフ」上のアバターとして芸能活動を再開。すでに17日正午からチャットイベントが行われたようなり。そして「やっと時代が私に追いついた!? って感じです。久しぶりのお仕事なので緊張気味です」と「本人」からのコメントも発表されているなりね。う〜む、ホリプロはまたやるなりか、伊達杏子を(笑)。

アニメやゲームのキャラクターがスピンオフする形でバーチャルアイドル的に活動し、ある程度の成功を収めたケースはままあるなりが、最初からバーチャルアイドルとして活動して成功した事例はほとんどなし。確かに、11年前の1996年に比べれば格段に技術も進歩しているので伊達杏子が活動できそうな土壌はできているなりが、そもそも論としての「感情移入しづらい」という問題は解決されていないだけに、三度(みたび)苦戦を強いられる可能性も否定はできないなりよ。コ○助を含め、伊達杏子が気になって仕方ない人は、今後の活動を要チェックなり!

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