世界遺産登録の石見銀山、決め手は江戸時代の環境配慮。

2007/06/29 13:17 Written by コジマ

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6月28日にニュージーランド・クライストチャーチで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で、オーストラリアの「シドニー・オペラハウス」やインドの「デリー城」、韓国の「済州火山島と溶岩洞窟群」などとともに、世界遺産に登録された「石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)。文化遺産としては日本で11件目、「屋久島」などの自然遺産と合わせると14件目の世界遺産となったのだ。

国の推薦を受けて石見銀山の現地調査を行ったユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)は、今年5月に「普遍的な価値の証明が不十分」として登録延期を勧告。世界遺産委員会でかなり不利な立場に立たされたのだけど、逆転登録に成功した。その決め手は、江戸時代の環境配慮だったのだ。

石見銀山は、戦国時代に採掘が始まった日本を代表する鉱山。採掘を開始した大内氏と周辺勢力の尼子氏、毛利氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には軍資金とされたのだ。江戸時代前期には幕府直轄領となって日本の経済を支え続けたのだけど、幕末にはほとんど産出しなくなり、大正時代に休山、昭和18年(1943年)に完全閉山している。

海外の鉱山では通常、坑道を掘らずに地表から地下をめがけて掘り進める「露天掘り」という手法をとっており、この方法では森林を伐採するケースが多いという。日本でも金山や金属を産出しない鉱山では古くからこの露天掘りが行われていたのだけど、石見銀山は坑道を掘り進める方法で採掘しており、また、江戸時代から銀の精錬に薪を使うために、計画的な伐採と植林が行われていたのだ。

こうしたことから、28日の世界遺産委員会では「環境への配慮を16世紀から実践していたのは素晴らしい」という各国代表の発言が相次ぎ、冒頭のICOMOSからの登録延期勧告説明で不利になった状況が一気に逆転。産業遺産としては日本初の世界遺産となったのだ。

その背景には、政府代表の近藤誠一・全権大使の熱心な根回しもあり、「『自然との共生』という考え方を当初からきちんとICOMOSにアピールしていれば土壇場で補足情報をまとめたり、各国へ働きかける必要もなかった」(読売新聞より)という元ICOMOS副会長である西村幸夫・東大教授の指摘もあるのだけど、かつての日本人が行ったことが世界に認められたことは、とても喜ばしいこと。ぼくらのご先祖さまたちに改めて感謝したくなったのだ。

このほか、「平泉−浄土思想を基調とする文化的景観」(岩手県)、「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)、「彦根城」(滋賀県)に続いて、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)、「富士山」(静岡県・山梨県)、「飛鳥・藤原の宮都と関連資産群」(奈良県)、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県)、「小笠原諸島」(東京都)が新たに日本の国内暫定リスト(世界遺産への推薦候補)に加えられている。

一方で、世界遺産第1号として登録されたエクアドルの「ガラパゴス諸島」が、観光客の増加や外来種の持ち込みによって自然の維持が危機的状況にあるとして、インドの「マナス野生生物保護区」やコンゴ民主共和国の「ヴィルンガ国立公園」とともに「危機遺産リスト」(危機にさらされている世界遺産リスト)に入れられたほか、開発によって保護区規模が削減されたオマーンの「アラビアオリックスの保護区」が世界初となる世界遺産からの抹消を受けた。

世界の自然が人為的に失われていくのは、とても悲しいことなのだ。

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