第74回日本ダービーはウオッカが制覇、牝馬の優勝は64年ぶりの快挙。

2007/05/28 06:39 Written by コ○助

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日本で生産される競走馬は年間約1万頭ほどいるなりが、そのすべての競走馬が目指す頂点であり、馬主や騎手、調教師など、競馬に従事するすべての人が優勝を夢見る最高峰のレース、日本ダービー。74回目を迎えた今年、その長い歴史に大きな、とてつもなく大きな記録が刻まれたなりよ。17頭の牡馬に混じり、唯一の牝馬として参戦していたウオッカが、まさに牡馬を「蹴散らす」ような快勝劇を見せてくれたなりね。日本ダービーを牝馬が制したのは64年ぶり、戦後では初の快挙となったなり。

ウオッカは昨年10月29日に京都競馬場6レースの新馬戦でデビュー。初戦を勝利で飾ったあと、2戦目の黄菊賞では2着に敗れたものの、3戦目の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)で見事に優勝し、2歳牝馬の頂点に立ったなりよ。これにより春のクラシックレースの本命に浮上、2月のエルフィンステークス、3月のチューリップ賞(G3)と連勝して、牝馬3冠レースの初戦となる桜花賞(G1)へと駒を進めたなりね。

桜花賞では単勝1.4倍の圧倒的な1番人気に推されたものの、ダイワスカーレットに1馬身半差を付けられて結果は2着に。通常なら、次はオークス(G1)へ……というローテーションが組まれるなりが、ウオッカを管理する角居勝彦調教師は悩んだ挙げ句に「ワクワクするほう」(サンケイスポーツより)との理由で照準を日本ダービーに合わせ、オークスへの登録を見送ったなりよ。桜花賞に勝っていたならまだしも、負けたにも関わらず、オークスよりも勝つのが難しいであろう日本ダービーに賭けたあたりは、角居師の英断と言えるなりね。

そして迎えた27日の日本ダービー。ウオッカは2着に3馬身差を付ける完勝とも言える内容で牡馬17頭を退け、見事にすべての3歳馬の頂点に立ったなりね。上がり3ハロン(最後の600メートル)の記録は33秒0と、あのディープインパクトの日本ダービー時を上回る史上最速の「切れ」を見せたほど、強い勝ち方だったなりよ。

これまでも、日本ダービーへ果敢に挑戦した牝馬はいたなり。数にすると120頭以上。そう聞くとかなり多い印象を受けるなりが、実はその昔はオークスが秋に開催されていたため、牝馬でも春の日本ダービーに参戦しやすかったという事情があるなりね。

ただ、1953年にオークスが日本ダービーの前週に移動、これにより牝馬が挑戦しにくい状況が生まれたなりよ。以降、現在に至るまでの54年間で、日本ダービーに挑戦した牝馬はウオッカを含めて16頭しかいないなりね。ちなみに、牝馬が日本ダービーを制した例は戦前に2頭あるのみで、1953年以降は牡馬の厚い壁の前に跳ね返されているなり。

◎1953年以降、日本ダービーに挑戦した牝馬(※カッコ内は主な勝ち鞍)
1953年 チエリオ(オークス2着) 4着
    ミナトタイム(オークス4着) 7着
    イチジヨウ(オークス6着) 24着
    ダツシングラス(特になし) 28着
1955年 ミスアスター(特になし) 19着
1956年 フェアマンナ(オークス) 6着
    トサモアー(特になし) 25着
1957年 セルローズ(オークス3着) 8着
    ミスオンワード(桜花賞、オークス) 17着
1958年 ホウシュウクイン(桜花賞) 9着
1961年 チトセホープ(オークス) 3着
1965年 ビューテイロック(特になし) 12着
1981年 マーブルトウショウ(桜花賞3着) 25着
1983年 シャダイソフィア(桜花賞) 17着
1996年 ビワハイジ(阪神3歳牝馬ステークス) 13着
2007年 ウオッカ(阪神ジュベナイルフィリーズ) 1着

こうした歴史に新たな一ページを刻み込んだウオッカ。その視線の先はすでに海外に向いており、10月にフランスで行われる世界最高峰のレース、凱旋門賞(G1)に挑戦することになるなり。ディープインパクトをもってしても勝てなかった凱旋門賞で、果たしてウオッカはどのような成績を残すのか。今からワクワクしないわけにはいかないなりね。これからまた、さまざまな名レースを見せてくれそうなり。

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