ディープインパクトは凱旋門賞3着、殺到した日本人に批判の声も。

2006/10/02 05:11 Written by コ○助

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デビュー戦から無敗のまま3冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)を制し、これまで1着の座を譲ったのは昨年の有馬記念(ハーツクライが優勝)の一度だけ。11戦10勝の成績と「日本最強馬」の称号を引っ提げ、世界最高峰のレースとして知られるフランスのG1・凱旋門賞に挑んだディープインパクト。JRA(日本中央競馬会)とマスメディアの過剰な演出も手伝い、凱旋門賞への挑戦は連日ドラマティックに報じられてきたので、競馬に興味がない人でも楽しみにしていた人は多いと思うなりが、10月1日(日本時間2日)、ついにレース当日を迎えたなりよ。

NHKの地上波でも異例の生中継が行われていたので実際にレースを見た人も多いと思うなりが、8頭立ての2番枠からスタートしたディープインパクトは終始好位置をキープ。最後の直線ではいつもの爆発的な末足を披露……してくれるとの期待が高まったなりが、一時は先頭に立ったかに見えたものの、残念ながら後続に抜かれて3着に終わったなりよ。そこには国内の数々のレースでファンを魅了してきた「豪脚」を見ることはできなかったなりね。

レース終了後、武豊騎手は「何とも言えないが、本来の走りではなかったのは間違いない。直線でギアが上がらなかった」(日刊スポーツより)、ディープインパクトを管理する池江泰郎調教師は「凱旋門賞は3歳馬に要注意と言われていたが…。(3.5キロの負担)重量差があったのかもしれない」()と敗因についてコメントしているなりが、まだレース直後だったこともあり、当事者も敗因を掴み切れていない様子だったなりね。

参考までに、これまで凱旋門賞に挑んだ日本調教馬の成績をまとめておくなり。

◎「凱旋門賞」での日本調教馬の成績
1969年10月5日(第48回) スピードシンボリ 10着
1972年10月8日(第51回) メジロムサシ 18着
1986年10月8日(第65回) シリウスシンボリ 14着
1999年10月3日(第78回) エルコンドルパサー 2着
2002年10月6日(第81回) マンハッタンカフェ 13着
2004年10月3日(第83回) タップダンスシチー 17着
2006年10月1日(第85回) ディープインパクト 3着

1969年にスピードシンボリが初めて凱旋門賞に挑んでから37年。これまで7頭が「世界一」を目指してフランスに遠征しているなりが、いまだその頂点に立った日本調教馬はいないなりよ。日本の競馬のレベルは年々高まり、事実、海外のG1を制する競走馬が増えてきてはいるなりが、凱旋門賞の壁はまだまだ乗り越えることができずにいるなりね。

ところで。今回のディープインパクトの凱旋門賞挑戦はメディアが煽りに煽ったこともあり、日本からの観戦ツアーも組まれていたなりよ。ディープインパクトが異国で活躍する姿を一目見よう。その純粋な気持ちは素晴らしいなりが、朝日新聞によると、どうやらレースの行われたロンシャン競馬場では、一部の日本人ツアー客の中に残念な振る舞いも見られたようなり。

「午前11時(日本時間午後6時)すぎに正門の鉄さくが開くと、先頭に並んでいた日本人の若者10人ほどがスタンドへと全力疾走。狙いはゴール前の好位置だ。勢い余って1人の靴が脱げる本気ぶりに、競馬場職員からどよめきが起きた」
「別の日本人グループは正門近くにあるプログラム(無料)の配布所に殺到した。1人1部が決まりだが、ネット競売にでも出すつもりか、5部6部とわしづかみにする人も」
「正装した英国婦人は『ジャパニーズ、クレージー』と眉をひそめた」

これらは日本の競馬場ではよく見られる光景ではあるなりが、「社交の場」であるヨーロッパの競馬場にはそぐわない光景。一年の中でも特に正装した紳士淑女が集う凱旋門賞ゆえ、日本の競馬場での振る舞いをそのままフランスに持ち込んだ日本人に批判的な声も上がっていたようなり。また、ヤフーオークションを覗いてみると、確かにレーシングプログラムが出品されているなりね。中には「数量9」なるものも。

それが競馬であれ、ほかのスポーツであれ、これからも海外に応援に行くケースは増えると思うなりが、それに伴って観客のマナーも向上していくことを願うばかりなり。

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