F1のミハエル・シューマッハ選手が引退を正式表明、伊GP優勝後に。

2006/09/11 07:18 Written by コジマ

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今年のF1は面白い。何といっても、ミハエル・シューマッハ選手(フェラーリ)とフェルナンド・アロンソ選手(ルノー)が、所属チームも含めて優勝を僅差で争っているのだ。そんななか、10日にイタリア・モンツァで行われたイタリアグランプリ(GP)の決勝の直後、シューマッハ選手が今季限りで引退することを正式に表明した。引退後はF1からは完全に離れるという。

第14戦のトルコGPを終わった時点のドライバーズポイントは、アロンソ選手が108、シューマッハ選手が96、所属チームのコンストラクターズポイントも、ルノーが160、フェラーリが158とかなり激しいデッドヒートを繰り広げており、久しぶりにF1が楽しくなっていたのだ。

第15戦のイタリアGPでは、2番グリットからスタートしたシューマッハ選手が、最初のピットストップでポールポジションからトップを守り続けていたライコネン選手を逆転。その後も無難な運転で通算90回目の優勝を獲得した。一方、予選での妨害行為の罰則として10番グリットからスタートしたアロンソ選手は終盤に3位まで順位を上げる猛追をみせたのだけれど、残り10周のところでエンジントラブルによってリタイア。無念のノーポイントとなってしまったのだ。また、ロバート・クビサ選手(BMW)がデビュー3戦目にして3位入賞、初の表彰台にのぼっている。

この結果により、シューマッハ選手に10ポイントが入って106ポイントとなり、アロンソ選手との差は2ポイントに短縮、フェラーリにも10ポイントが入り、ジャンカルロ・フィジケラ選手の5ポイントのみとなったルノーを逆転している。こうしてより、ドライバー・チーム双方の優勝争い激しくなってきたのだけれど、レース後、予選開始前から引退の噂が飛び交っていたシューマッハ選手が、正式に引退を表明したのだ。

「モンツァ(イタリアGP)でレースをするのは、今回で最後になった」とし、引退を口にしたシューマッハ選手。「後ろ髪を引かれる思いだが、今が決断の時と感じた」と述べ、家族やファン、そしてフェラーリチームだけでなくベネトン時代のスタッフにも感謝の意を示した。当然ながら引退はチームの人たちと話し合いを重ねて決定したそうで、この日、シューマッハ選手が勝利した瞬間にフェラーリチームのゼネラルディレクターであるジャン・トッドの目に涙が浮かんでいたのは、ここ2年間勝てなかったフェラーリの母国・イタリアでの最後のレースでシューマッハ選手がきっちりと勝利を収めたからだろう。

イタリアでは、ドイツ人ながらフェラーリに多大な貢献をしてきたシューマッハ選手の人気は高く、レース前から流れていた引退の噂に、「シューミ(シューマッハ選手の愛称)なしのF1なんて、誰もいないのと同じ」などと書かれたメッセージを掲げるファンが殺到。こちらも正式発表前から後任候補として噂されていたライコネン選手の名前を挙げ、「キミには赤は似合わない」と引退を慰留していたのだ。このほか、トヨタのヤルノ・トゥルーリ選手やフィジケラ選手だけでなく、ライバルのアロンソ選手まで、「辞めて欲しくない」という意見を表明していたのだ。

ぼくはこれまで、何度もF1を見るのをやめようと思った節目があった。F1に興味を持ち始めた頃のチャンピオンだったネルソン・ピケ選手と日本人初のF1ドライバーである中嶋悟選手が引退した91年、ナイジェル・マンセル選手が引退した92年、アイルトン・セナ選手が事故死した94年……。こうした幾度の節目を乗り越えて、それでもF1を見続けてきたのだけれど、いつしか情熱をもって見ることができなくなってしまったのだ。しかし、今年は久しぶりに熱い気持ちで観戦できた。これほどスリリングなチャンピオン争いは、ぼくにF1の魅力を再確認させてくれたのだ。

それだけに、今回のシューマッハ選手の引退表明はショッキングだった。大好きだったセナ選手を脅かした憎い選手(そういや、ピケ選手の引退のきっかけも、シューマッハ選手のベネトン加入だったなあ)だけど、その後のF1を面白くしていたのは紛れもない事実。ぼくが熱中していた頃の遺産である“赤い皇帝”が去るF1に、どうやら興味が持てなさそうなのだ。残り3戦、その走りをしっかりと目に焼き付けよっと。

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