ブラジル代表カカ選手の日本人“両親”、W杯での活躍を期待。

2006/06/08 23:30 Written by コジマ

このエントリーをはてなブックマークに追加


間もなく開幕するサッカー・ワールドカップ(W杯)ドイツ大会。日本が予選で戦うF組のなかで、最強の敵がブラジルなのだ。今大会のブラジル代表は史上最強の呼び名が高いのだけれど、その中核を担っている「魔法のカルテット」の1人、カカ選手が11歳のときに出会った日本人の“両親”が、W杯での活躍を山形から祈っているそうなのだ。

前大会に続いて今大会でもブラジル代表となり、ロナウジーニョ選手やロナウド選手、アドリアーノ選手とともに「魔法のカルテット」と呼ばれ、その美麗な容姿と裕福な家庭出身なことから“貴公子”という異名も持つカカ選手。2003年にイタリアのプロサッカーリーグ、セリエAのACミランと契約し、04年には最優秀選手と最優秀外国人選手に選出され、今や押しも押されぬ世界のトップ選手となったのだけれど、そんなカカ選手が両親のように親しくしている日本人夫婦が山形県にいるそうなのだ。

“両親”である押切政志さん、久子さん夫婦が出会ったのは、1993年。現在も毎年行われているサンパウロFCのジュニアチームと地元少年サッカーチームとの国際親善試合の第1回の招待チームのなかに、11歳のカカ選手がいたのだ。キャプテンだったカカ選手は日伯両選手を圧倒する動きを見せ、初代最優秀選手に選ばれた。賞金は5000円。その5000円札は「サッカーで初めてもらった賞金だから、宝物」と、今でも使わないで大切に保管しているのだとか。

サンパウロFCジュニアチームの選手たちは、それぞれ農家に2週間ほど滞在し、カカも対戦相手の当時小学4年生だった黒坂啓太さんの家に泊まった。現在大学生になった黒坂さんにとって、信じられないくらいの素晴らしい思い出となっているようなのだ。山形で芋掘りやバーベキュー、習字などを楽しんだカカ選手は、帰国後も受け入れ団体の「もがみ国際交流協会」で事務局長を務めている押切さんと個人的に電話で連絡を取るようになり、家族ぐるみで交流を続けていた。01年に押切さん夫婦がサンパウロに招かれた際、パーティーでその姿を見つけると、カカ選手は感極まって駆け寄り、抱きついたそうなのだ。

02年のW杯日韓大会のときは、押切さんが決勝戦を前にカカの宿泊先を訪ね、「日本では、自分の子供が立派に成長してくれることを願って渡すんだ」と、こいのぼりを手渡したのだとか。カカ選手は何度も「ありがとう」と言い、決勝戦のチケットを渡したそう。うーん、なんて感動的な話なんだろう。そして、決勝戦が行われた横浜国際競技場では、スタンドの最前列にこいのぼりが掲げられていたそうなのだ。03年にトヨタカップで来日した際も会ったそうだけど、そのときはカカ選手の宿泊先のホテルで、警備員から「山形の人間とブラジルの選手が知り合いのわけがない」と疑われ、会うのに苦労したそうなのだ。

今大会で日本戦が行われる6月23日は、最上町健康センター視聴覚室で、カカの出るブラジル戦をテレビで観戦するイベントを開くのだそう。押切さんは「日本と同じ組に入って戦うことは複雑だが、とにかくカカには活躍してほしい。日本から見守りたい」(産経新聞より)としている。自慢の“息子”が、日本戦といえども大暴れしてくれることを願っているに違いないのだ。


☆カカ選手とは
本名リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイテ。1982年4月22日生まれの24歳。身長186センチ、体重73キロ。サッカー・ブラジル代表のMF。8歳で名門サンパウロFCに入団し、01年にブラジル年間最優秀選手賞獲得。02年に代表に選ばれ、W杯日韓大会に出場。しかし、控え選手としてその実力を発揮しきれなかった。03年にイタリア・プロサッカーリーグ・セリエAのACミランに移籍金約10億円(4年契約)で移籍し、04年には最優秀選手賞と最優秀外国人選手賞をダブル受賞した。W杯今大会では、ロナウド(FW)、アドリアーノ(FW)、ロナウジーニョ(MF)とともに「魔法のカルテット」と呼ばれ、中心選手となっている。愛称の「カカ」は弟で同じくACミランに所属するロドリゴ選手が子供の頃に「リカルド」と発音できず「カカ」と呼んだためだとか。ちなみに、現在カカが活躍するイタリアでは、「カカ」は「うんち」の意味だそう。

TOPへ戻る
このエントリーをはてなブックマークに追加

Copyright © Narinari.com. All rights reserved.