6年ぶり新作の公開目前、リュック・ベッソン監督が緊急来日。

2006/05/08 23:24 Written by コ○助

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プロデュース業や脚本業に専念していたため、21世紀に入ってからはまだ一本も監督作を製作していなかったリュック・ベッソン監督。「グラン・ブルー」や「レオン」の成功以来、世界中にファンを抱える映画監督の一人となったなりが、特に日本では「レオン」の人気が高いこともあり、熱狂的な「ベッソン信者」が多いなりよね。1999年に製作された20世紀最後の監督作「ジャンヌ・ダルク」の後、脚本やプロデュースで携わった作品にも秀作は多いなりが、「リュック・ベッソン監督自身がメガホンを執った作品が見たい」との声はずっと聞かれてきたなりよ。

そんなリュック・ベッソン監督が実に6年ぶりに自らメガホンを執ったのが「アンジェラ」。Narinari.comでも3月に一報をお伝えしたなりが、リュック・ベッソン監督にとって10本目の監督作というだけでなく、1994年の「レオン」と、1997年の「フィフス・エレメント」の間に書き上げた15ページのシノプシスが基になった「構想10年」という、熟成に熟成を重ねた作品となっているなりね。また、リュック・ベッソン監督は以前から「10本撮ったら、映画監督を引退する」と公言していることから、この作品は「最後の監督作」とも言われているなりよ。「アンジェラ」はリュック・ベッソン監督にとっても、ファンにとっても大きな意味を持つ作品というわけなり。

「アンジェラ」は本国フランスでは2005年に公開されたなりが、12月21日の公開初日まで具体的なストーリーは明かされず、記者会見や試写会も一切行われないという、秘密めいた作品として極秘裡に製作と公開準備が進められていたなりよ。同様に日本でも、公開(5月13日から)が目前になった今となっても、あまり詳しい情報は明かされていないなりね。そのため、ストーリーらしいストーリーを紹介することができないなりが、劇場パンフレットなどには次のような意味深な文章が載せられているなり。
※※※ ※※※ ※※※
48時間後、俺の命は奪われているかもしれない。
こんな人生、もうたくさんだ。
アレクサンドル三世橋から見下ろすセーヌ河。
ここで何もかも終わりにしようかと思った。
その瞬間、突然、君が隣に現れた。
透けるような白い肌に神々しく輝く金色の髪。
細く、長く、滑らかな曲線を描く肢体を持つ、美しい人。
俺は君を見上げ、息を呑んで、そこに立ちつくすんだ。

「あなたと同じことをする」
いきなりそう告げて君は飛び降りた。
次の瞬間、俺も君を目がけて飛び降りていた。
「死なせたくない」
あまりにも無謀で、無垢で、はじめての感情だった。

アンジェラ、君は一体、何者なんだ?
※※※ ※※※ ※※※

さて、「アンジェラ」の公開を前に、リュック・ベッソン監督と、主演女優のリー・ラスムッセンが緊急来日。記者会見を開き、「アンジェラ」への思いを熱く語ったなりよ。その模様を簡単にお伝えしておくことにするなりね。



[リュック・ベッソン監督&リー・ラスムッセン 来日記者会見詳報]
Q.(司会)6年ぶりの監督作「アンジェラ」の日本公開が土曜日に迫っていますが、どんなお気持ちですか?

A.(ベッソン監督)(6年ぶりと言いますが)実はこの6年間、バカンスに行っていたわけではないんです。今年の年末に公開される「アーサーとミニモイたち」と「アーサーと禁じられた王国」というアニメに5年間携わっていました。「アンジェラ」はその間に撮影したものです。47本の作品の製作にも携わっていたので、遊んでいたわけではないのです。

Q.(司会)「アンジェラ」とタイトルを決めた理由はなんでしょう?

A.(ベッソン監督)実は最初の第一稿の脚本の中に「アンジェラ」という言葉に関する説明のシーンがあったのですが、それを切ってしまったので分かりにくくなっているというところはありますね。この作品に出てくる「アンジェラ」と「アンドレ」という人物。二人の人物は本当は一人の人物なんです。金髪の美しい女性と冴えない中年男。それを少し哲学的に現したくて「アンジェラ」というタイトルにしました。

Q.(司会)リュック・ベッソン監督10本目の作品のヒロインとして出演した感想は?

A.(ラスムッセン)まず女優としては大変名誉なことですし、人間としてこれ以上の喜びはありませんでした。また、監督を目標としている自分としては、これ以上の体験はありませんでした。今、自分の人生が終わったとしても良かったと思えるほど満足しています。

Q.(司会)モデルなど、ほかの仕事との違いは?

A.(ラスムッセン)ファッションの仕事をするときに必要なのは肉体のみ、絵を描いているときには魂のみ必要です。監督をしているときには脳だけで良い。このアンジェラではすべてが必要だったんです。

Q.(司会)今回の「アンジェラ」とこれまでのミューズとの違いは?

A.(ベッソン監督)僕の映画の中にはヒーローも出てきます。ヒロインだけでなく。ひとつ言えるのは70年代、80年代の映画は男性がヒーローで、女性が後ろで泣いているという縮図が見られたのですが、私は男性も女性もヒーローになれると信じています。なので、女性だけをヒーローにしたいと思ってはいません。

Q.(記者)あえてモノクロで制作したのはなぜですか? モノクロで苦労した点は?

A.(ベッソン監督)お金がなかったんです(笑)。この作品の中で、ひとつ気付いていただける部分というのは、すべてが対称しているということなんですね。女性は大きくて金髪、男性は小さくて黒髪である。彼はすべてが怖くて、彼女は何も怖くない。すべてが相反してるんですね。だから白黒というのは必須条件でした。

 カラーはとても現実的な部分を引き出してくれます。ニュースもカラーですし。映画の冒頭のシーンからこれは夢の中にいるのか、それとも現実なのか。どこにいるのか分からないという感覚を抱いて欲しくて白黒にしたのもあります。こういった雰囲気を作ることに貢献したのが白黒なのです。

 私の最初の作品も白黒で、最後の作品も白黒です。最初から最後まで一回りしてきたようなところがあるのだと思います。

 実は撮影に入る前にいろいろなフィルムのタイプでテストをしたんですね。フィルムのタイプによって異なる質感で残りますので、まずどのような色が出るのか、テストをしてから撮影に臨みました。例えば赤という色は白黒で取ると綺麗なグレーとして出ないんですよね。これは苦労ではありませんが、作品の質感を統一させるためのテストを繰り返したということ、それがひとつ言えると思います。現場はいつも大変でほとんど戦争です。まったくない無の状態からいろいろなものを掴み出さないといけないので。女性にわかっていただけるかもしれませんが、出産の場と似てると思うんですね。痛みが伴うけど、10分後には喜びが大きいという。

Q.(記者)「アンジェラ」の羽がシンボライズされて出てきますが、どういう意味があるのでしょうか?

A.(ベッソン監督)羽に関しては宝探しゲームのようなものと位置づけています。映画を二回、三回観ると、違った意味で羽の位置づけというのが出てくると思います。何度も何度も観ることによって、その人の精神状態によっていろいろな見方、読解の仕方が深ければ深いほど映画というのは素晴らしいと思いますので、この映画にとっての羽は宝探しゲームの宝という位置づけにしています。

 また、人間というのは横には移動できても縦には移動できないんですよね。決して人間が到達できない場所、そういうものを象徴していると思います。

Q.(記者)しばらく心を閉ざしていた時期があったそうですが、心境の変化というのはありましたか?

A.(ベッソン監督)実は「アンジェラ」の初号試写をしたときにショックなことがありました。「アンジェラ」の最後のセリフが「わたしは自由である」というセリフなんです。これは初監督作品の最後のセリフと同じだったんです。意図したモノではなかったのですが、これは私にとってショックなことでした。

 25年間映画を撮っていますが、自由を堪能することができているのは今だと思います。だから自由を楽しんでいます。知名度、作品の成功、そういった要素が積み重なっていくと監督としては、特にハリウッドからは15年前から「商業的な作品を作れ作れ」というプレッシャーを受けているんですね。そういう中で、シンプルな映画の要素だけで映画を作るというのは、自分の友だちの映画監督は「すごく勇気があるね」と言ってくれるんですが、私にとってはとてもナチュラルだったんですね。私はいつも自分の作りたい作品を作っていますし、それをどれも愛しています。10人の子どものように、10人を平等に愛しています。

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