フィギュアスケートの荒川静香選手がプロ転向、競技生活に区切り。

2006/05/07 09:39 Written by コジマ

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今年2月に行われたトリノ冬季五輪フィギュアスケートで、日本人初(アジア人初)の金メダルを獲得した荒川静香選手(プリンスホテル)。五輪後は3月の世界選手権(カナダ)を辞退し、来季のグランプリ(GP)シリーズについても欠場を表明、競技者としての去就が注目されていたのだけれど、6日深夜、競技生活から退いてプロに転向し、かねてから希望していたアイスショーに専念することを明らかにしたのだ。7日夜には横浜市内で会見し、正式に表明する予定。

10歳で3回転ジャンプをマスターし天才少女と呼ばれ、1998年には高校1年生で長野五輪出場、04年の世界選手権で日本人3人目となる優勝を成し遂げ、今年のトリノ五輪では金メダル獲得、世界から「クール・ビューティー」「東洋の女神」と称賛されるなど、一見、華々しいように見える荒川選手だけど、五輪後のさまざまな報道でご存じの通り、決して順風満帆というわけではなかったのだ。

長野五輪出場後は伸び悩み、02年のソルトレーク五輪では代表落選、そして04年の世界選手権優勝後から引退を考え始めた。05年から導入された新採点方式で得意技である「レイバック・イナバウアー」が得点対象から外されたこともあり、同年のGPファイナルは出場を逃した。この際、荒川選手は「GPファイナルで日本人選手3人が表彰台に上がったら、その時点で引退する」と発言していたのだ。

しかし、GPファイナルでは、浅田真央選手が優勝、中野由加里選手が3位だったものの、安藤美姫選手が4位という結果に終わり、代表選考ポイントがダントツのトップだった浅田選手が年齢制限で代表権を取得できなかったこともあり、荒川選手は「これじゃ満足できない。自分が満足するところで終わりたい」と奮起。代表権を得、新採点方式という壁を乗り越えて五輪で金メダルを獲得したのだ。

結果がどうあれ、五輪後は持ち味の表現力がより生かされるプロへの転向は決めていたが、金メダル獲得という快挙や「プロかアマか、無理に決める必要はないと思う。競技をやりたくなったら練習をすればいい。プロとアマでスケートに大きな違いはない」と“保留”していたこともあり、「競技を続けるのではないか」という希望的憶測もファンの間で飛び交っていたのだ。しかし、テレビやプロ野球の始球式などのイベント、アイスショーへの出演と忙しい日々を送っていたため、「練習不足」という理由で3月にカナダで行われた世界選手権を辞退、さらに来季のGPシリーズへの欠場表明に続いて、今回、ようやっとプロ転向(競技フィギュアスケートからの引退)を発表したのだ。

スキー・モーグルの上村愛子選手が、長野五輪を振り返って「周りの期待を感じて一生懸命頑張ったけど、結果が伴わないとみんな手のひらを返したように離れていった。あんな悲しい経験はもうしたくない」と語っていたように、ポピュラーでない競技に対する日本のマスコミやファンの熱が冷めるのは早い。長野五輪時の上村選手より注目度は低かったけれど、荒川選手も世界選手権優勝後に同じようなことを味わったのだろう。「サラリーマン家庭だったのでお母さんが衣装を手作りしていた」という美談や「努力の末の五輪金メダル獲得」といった評価が高いうちに一線を退き、自分が本当にやりたいことへと挑戦するのは、非常に賢明な選択だと思うのだ。

今後は、採点が行われる大会には一切出場せず、国内や海外のアイスショーに出演するのだそう。少ないながらも本物のファンに囲まれて、ステレオタイプの競技フィギュアでは評価されなかった美しい演技を思いっきり披露していってもらいたいのだ。

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