戦時中の文通相手と初対面、61年越しの恋心。

2006/04/10 21:21 Written by コジマ

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産経新聞の「談話室」への投稿がきっかけで太平洋戦争中の文通相手、山田治雄さんの消息を知った大阪府大東市の松平信子さんが9日、山田さんが住む広島県三次市を訪れ、初対面を果たしたそうなのだ。まだ見ぬ文通相手にほのかな恋心を抱いていたという松平さん、61年間温めていた思いが現実となった。

内地にいた当時14歳の松平さんが中国に出征していた当時21歳の山田さんと文通を始めたのは、日米が開戦した昭和16年(1941年)。松平さんの妹が戦地に送った慰問文がきっかけだったのだとか。2人はひと月ごとに手紙やはがきを交換し、山田さんは松平さんからの便りを心の安らぎとしていたようなのだ。

しかし、戦局が悪化した昭和20年4月、35通目の手紙を最後に、山田さんは消息不明に。60年後となる昨年8月に松平さんが産経新聞の「談話室」に山田さんのことを投稿すると、11月に山田さんが郷里の広島で健在なことが判明。そして、今回の初対面となったのだ。

松平さんは、山田さんからの手紙を握りしめ、新幹線で広島へ。さらに車で2時間、ようやっと山田さんが長男夫婦と住む三次市北部山あいの集落にたどり着いたのだ。80歳という高齢から察するに、この移動距離・時間は決して楽なものではなかっただろう。しかし、「文通相手にほのかな恋心を抱いていた」という松平さんの心は、そんなことも困難と感じないほどうきうきしてたのではないだろうか。

対面した2人は、松平さんが持参した手紙から当時のことを振り返り、1時間ほど談笑。きっと、戦地で手紙を心待ちにする青年兵と、内地でその身を案ずる少女に戻っていたのだろう。別れ際、体調不良と足が悪いため大阪まで行けないという山田さんは、松平さんの背中にいつまでもいつまでも手を振って見送ったのだそう。

「お目にかかれれるとは思っていませんでしたので、夢のようです。60年前のままの気持ちでお会いでき、ようやく肩の荷が下りたような気がします」(産経新聞より)という松平さんの言葉は、あんなに暗く凄惨な時代でも当時を生きていた人には振り返って心地よい大切な思い出がある、ということを伝えている。うーん、なんだか心がほんわかした良いお話だったのだ。

調べてみると、朝日放送の調査番組「探偵!ナイトスクープ」で、戦時中兵隊と文通していた当時の女学生がその相手と会いたいという依頼「戦火をくぐり抜けた文通」(探偵:北野誠)が01年4月に放送されたようなのだ。依頼人の名前は岡田聖子さんとなっているけど住所は大阪府。これは松平さんと関係あるのだろうか。

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