島田紳助の元相方、「紳助・竜介」の松本竜助が意識不明に。

2006/03/25 12:46 Written by コ○助

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テレビを付ければ見ない日はないほど、「みのもんたの次」は当確と言われることも多い島田紳助。今の若い世代にしてみれば、かつてのブームをけん引した漫才コンビ「紳助・竜介」で活躍していたことは耳にしていても、にわか信じがたいものがあるかもしれないなりね。髪型はリーゼント、常につなぎを着てステージに立つという、それまでの漫才の常識を打ち破ったビジュアルと、ヤンキー漫才ともツッパリ漫才とも言われる独特の芸風が大うけし、1970年代後半から1980年代前半にかけて「超」が付くほどの人気を誇ったなりよ。

でも、ダウンタウンの登場に衝撃を受けた島田紳助は「オレらの時代は終わった」と解散を決意。1985年に「紳助・竜介」は正式にコンビを解消し、共にピン芸人としての道を歩むことになるなりね。その後の島田紳助の活躍は周知のとおりなりが、華やかな舞台で脚光を浴び続けてきた島田紳助とは対照的に、相方の松本竜介(のちに松本竜助に改名)は仕事が激減してしまうなりよ。どんなに人気のある漫才コンビでも、解散してしまうと片方しか芸能界で生き残ることができないのはよくある話。漫才ブームをけん引するほどのチカラを持った「紳助・竜介」も例外ではなかったなりね。

松本竜助は島田洋八やビートきよしとの3人組「うなずきトリオ」として活動していたこともあったなりが、「紳助・竜介」を解散後は1997年に吉本興業を離れ、自ら事業を興すことに。ただ、この事業は失敗に終わり、1億3000万円の負債を抱えて1998年には自己破産しているなり。そして再起をかけて河内家菊水丸に弟子入りし、河内家ピンポン丸の名前で活動を始めたものの長続きせず、無断欠勤などを理由に破門。現在は風俗レポーターや風俗案内所の店員などの仕事をこなしていたというなりよ。お笑いの世界で頂点を極めていた人が、風俗案内所の店員に……。悲しい転落なりね。

そんな松本竜助が病に倒れたなり。22日に大阪市内の自宅で頭痛を訴え、救急車で病院に搬送。診断の結果、脳溢血であることが明らかなり、今もなお意識不明の状態が続いているというなりよ。生死に関わる病気だけに、島田紳助も「危篤の一報には、取り乱すほど大きなショックを受けていた」(スポーツ報知より)というなり。

近年はお笑いの世界に戻りたいと、長男と組んだコンビ「松本一家」として「M-1グランプリ」の予選に参加したことも。もう一度ステージに復帰するためにも、意識が回復することを願うばかりなり。

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