原画を展示する施設「藤子・F・不二雄アートワークス」建設へ。

2006/02/18 08:26 Written by コ○助

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「ドラえもん」「キテレツ大百科」「パーマン」など、数々の名作を世に送り出した藤子・F・不二雄。今なお高い人気を誇る稀代のマンガ家が他界してから早くも10年が経過したなり。コ○助も子どもの頃から「藤子不二雄ワールド」で育ってきた世代の一人として、今でも他界の一報を聞いたときの衝撃が忘れられないなりよ。ひょっとすると、手塚治虫と同等か、それ以上のショックだったかもしれないなりね。

藤子・F・不二雄の死後10年の間に、残された作品は風化するどころか、その世界観はさらに広がりを見せているのは周知のとおり。さまざまなシーンで「ドラえもん」や「パーマン」の姿を見ることができるなりが、そんな藤子・F・不二雄の世界がギュッと詰まった展示施設の建設が決定し、概要が発表されたなりね。節目の年に正式発表された、ファンにとっては嬉しいこの施設。どのようなものなのか、簡単にまとめておくなり。

[藤子・F・不二雄アートワークス 施設概要]
・神奈川県川崎市多摩区に建設(向ケ丘遊園跡地などを検討)。
・妻の正子さんが4万点の原画を提供。
・施設の建設費用は10億〜15億円。
・完成は2010年度をめど。
・年間来場者数は50万人を想定。

建設が進められる多摩区は藤子・F・不二雄が晩年を過ごした土地。もともとは藤子プロと正子さんから川崎市に原画の提供をする代わりに、展示施設の建設・運営を川崎市に行って欲しいとの申し入れがあり、三者共同によるプロジェクトとして話し合いを続けてきたなりね。計画がスタートしたのが1999年からなので、実に7年の歳月をかけてようやく具体的なカタチが見えてきたなりよ。

せっかくなので、藤子不二雄について少し触れておくことにするなり。ご存知のように、藤子・F・不二雄(藤本弘)は、もともと藤子不二雄A(安孫子素雄)とのコンビ「藤子不二雄」として活動を続けていたなりよね。前述の作品のほかにも「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」などの名作があるなりが、基本的には二人は完全分業制で、共同執筆した作品はほんの一部しかないなりよ。画風を見ればどちらが描いた作品なのか、ファンなら誰でも見分けることができるほど、二人のテイストが異なるのが「藤子不二雄」の面白いところなり。

1987年には長年のコンビを解散。その本当の理由についてはハッキリとしたことは語られていないなりが、Wikipediaによれば「実際一緒に作品を描いたのは最初の頃だけで、以降はお互いが別々に作品を描いては藤子不二雄の名前で発表していたものですから、もうここらへんで、お互いに藤子不二雄のネーム・バリューに頼らず一本立ちしていってもいいんじゃないか、と話し合い解消しました」というのが表向きの理由で、「共同名義の作品の中で『ドラえもん』の人気が圧倒的に高いにもかかわらず、収入は折半という約束をかたくなに守り続ける藤本への安孫子の配慮」といった噂もあるのだとか。いずれにしても、解散という事実に衝撃を受けた人も多かったはずなり。

「藤子・F・不二雄アートワークス」の完成は2010年とまだまだ先の話なりが、ファンの人は楽しみにオープンを待つべし。コ○助も開業が楽しみなり。

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