生え抜き最古参の桧山進次郎外野手が語る「阪神の強さ」。

2005/11/09 20:22 Written by コ○助

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真弓、バース、掛布、岡田らスター選手の活躍によって、圧倒的な強さで優勝した1985年からわずかに2年後。選手の不協和音がピークに達したと言われている1987年には最下位に転落し、以降2001年までの14シーズンで最下位9回、5位2回、4位2回と、「亀・新フィーバー」で湧いた1992年を除いてすべてBクラスという「暗黒時代」を経験した阪神。どこに出口があるのか、全く先が見えないトンネルを彷徨っている感がプンプンと漂っていた、ファンにとっても、選手にとっても厳しい時代だったなりが、そんな「暗黒時代」の後半、1996年から阪神の4番打者として打線の中軸を担うようになったのが桧山選手だったなり。

弱い阪神の中で、それでも打線のキーマンとして結果を求められた桧山選手だったなりが、当初は大振りが目立ち、三振の山を築く姿に心ないファンから罵声が浴びせられることもしばしばだったなりよ。でも、それも今となっては昔話。阪神の生え抜き選手としては最古参(14年)となった現在では、出場するたびにファンから熱い声援が送られる選手となっているなりよね。2001年に打撃開眼して率を残せる選手にステップアップしたこと、また、同じく2001年から選手会長を務めて2003年に優勝したことが、ファンに愛される選手となった大きな転機だったと言えるなり。

さて、そんな酸いも甘いも経験してきた桧山選手が、改めてこれまでの阪神について語ったインタビューが夕刊フジに出ているなり。いろいろな監督の下で、いろいろな経験をしてきた桧山選手だからこそ、説得力のある内容になっているなりよ。

「(チームの低迷期は)とにかく悔しかったけど、自分ではどうしようもできない部分もありますね。もっと広い範囲で『こうしないと勝てない』という思いがありました」
「野村さんが来られてから若い選手の獲り方も変わって、チームに違った空気が流れてきました」
「(2003年に)監督が星野さんになって、野村さんの野球の応用編みたいになった」
「(岡田監督になって)『大人のチーム』になったという印象がありますね。勢いではなく、投手を中心に守る野球で勝てた」

野村監督については、在任期間中には結果が伴わなかった(3年連続最下位)ことから辛い評価を下す人も少なくないなりが、桧山選手はこのインタビューだけでなく、ほかの機会でもことあるごとに野村監督の功績を認める発言をしているなりよ。野村監督は来季から楽天の指揮を執ることになるなりが、楽天の選手もきっと桧山選手のような経験をするはず。よく阪神は野村監督が蒔いた種を星野監督が開花させたと言われるなりが、楽天もじっくりと野村監督に育ててもらえれば、良いチームになる可能性は十分ありそうなりよね。

ま、阪神ファン以外にはそれほど面白い内容でも無いなりが、興味ある人はぜひぜひ。

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