「ジャンボ尾崎」ことプロゴルファーの尾崎将司が破たん。

2005/11/02 06:42 Written by コ○助

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思わず「え?」と耳を疑うような話題なりが、日本を代表するプロゴルファーの「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司が東京地裁に民事再生手続きを申し立て、経済的に破たんしたことが明らかとなったなり。通算獲得賞金は日本のゴルフ界の頂点に燦然と輝く26億7071万2759円(2位の中嶋常幸は15億5866万370円)。プロ野球選手からプロゴルファーに転身し、一時代を築いてきた尾崎将司だけに、そこまで経済的に困窮していたとは意外な感じもするなりよね。

なぜ、破たんに至ってしまったのか。尾崎将司サイドから正式な発表がないので現時点では憶測しか流れていないなりが、スポーツ報知では1990年代以降に見舞われたさまざまな金銭トラブルによって抱えた負債が原因と説明しているなり。なんでも1997年に新興のクラブメーカー、ワールドワン社と推定10億円単位の金銭に加え、自宅に隣接する土地に練習場、研究所を完備する大型契約を結ぶなど順風満帆に見えた尾崎将司だったなりが、1998年に26億円の負債を抱えてワールドワン社が倒産したことで事態は急転。この夏には「ジャンボ御殿」とも呼ばれた自宅を売却するなど、経済的な困窮が囁かれていたようなりよ。

また、スポーツニッポンには「89年頃からゴルフ学校の建設を計画し、ベースとなるゴルフ場開発に乗り出した。総工費90億円で94年オープンの予定だったが、用地買収が遅れた上にバブル崩壊が重なり巨額の負債を背負うことになった」「親族の不動産投資の失敗もあり一時は数十億円の借金を抱えたといわれた」とあるなり。本業以外の事業が次々と失敗したことが、破たんに至った理由のようなりよ。

尾崎将司(プロゴルファーになる前は尾崎正司)は1947年生まれの58歳。もともとは野球選手で、徳島県立海南高校のエースとして1964年(昭和39年)のセンバツに出場し、初出場ながらチームを優勝に導く活躍を見せるなど、将来を嘱望された選手だったなりね。そして西鉄ライオンズに入団。ただ、プロ野球選手としては成績を残すことができず、投手としては1勝も挙げることができずに退団することになるなり。プロ野球選手を辞めた尾崎将司は、西鉄時代に覚えたゴルフの腕を磨き、1970年のプロテストに一発で合格してプロゴルファーに転身。その後は青木功、中島常幸と共に「AON」時代を築き、兄弟や後輩ゴルファーらと「ジャンボ軍団」を結成するなど、ゴルフ界に無くてはならない存在となったなりよね。

最近は年齢的な衰えからなのか、本業のゴルフのほうは低迷を続けており、今季の賞金ランクは80位、獲得賞金は799万7004円と寂しい数字が並んでいるなりよ。民事再生手続きを申請したことによる本業への影響が懸念されるなりが、とりあえず今後は本業のゴルフに専念していく構えのようなり。一時代を築いた人物だけに、こうした話題を耳にするのは寂しいなりよね。なかなか本業で復活を果たすのも難しいかもしれないなりが、再びゴルフ界で存在感を発揮できるような活躍を見せて欲しいものなり。

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