地ビールブームの火付け役、「銀河高原ビール」が清算へ。

2005/08/26 12:27 Written by コ○助

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いまや全国各地のさまざまな銘柄の地ビールが販売され、銘柄によっては全国区の人気を博しているものもチラホラ。大手酒造メーカーのビールとは異なる個性的な風味や味わい、そして、少量生産という稀少性にブランドとしての価値を求め、わざわざ各地から取り寄せて飲む人も多いほど、地ビールの存在はすっかり定着しているなりよね。また、大きな都市のデパートなどでは、「地ビールフェア」と称して全国の地ビールが一同に介し、購入できる素敵な企画を実施しているのをよく見かけるので、利用している人も多いのではないかと。コ○助もたまにそういったフェアに赴いては、いろいろな地ビールを試してみるクチなりよ。

そもそも、あまりお酒に関心がない人の中には「地ビールってなんぞや?」と、地ビールという言葉は知っていても、実際それが何なのかが分からない人は少なくないかもしれないなりね。簡単に説明すると、地ビールとは全国各地の小さなメーカーが製造するビールのこと。1994年に酒税法が改正され、ビールの製造免許取得要件が年間最低製造数量2,000キロリットルから60キロリットルに緩和されたため、大手のメーカーではなくとも、ビールの生産に乗り出すことが可能となったなりよ。この規制緩和によって、海外のようにたくさんの銘柄のビールが生まれることになったなりね。ちなみに、規制緩和後初の地ビールは、1995年2月に発売された「エチゴビール」(新潟県)。

そして、その後の地ビールブームに先鞭を付けたのが「銀河高原ビール」(岩手県)。「ビール酵母が生きたままの新鮮な生ビール」を売りにした「銀河高原ビール」は、その琥珀色の美しさと、まろやかな味わいも相まって多くの消費者の心を捉え、東京では多くの飲食店でも見かけるようになるなど、地ビールながら勢力を拡大していたなりよ。一時はみのもんたをキャラクターに据え、テレビCMなども放映していた時期があったなりね。

ところが、拡大路線が裏目に出たのか最近は業績が悪化していたようで、販売会社が清算されることになってしまったなりよ。「銀河高原ビール」の公式ホームページに「銀河高原ビールより皆様へご報告」として清算に関する報告が出ているので、その内容を確認しておくなりね。

「近年のビール市場の変化、低価格商品の台頭、アルコール製品の多様化など当社にとりまして厳しい環境が続いておりました」
「平成13年に事業再編化の一環として会社分割を実施し、財務健全化のもと再起を図り、積極的な新商品展開やテレビCMなど販売展開を実施して参りましたが、依然当社を取り巻く環境は、厳しい状況にあり、営業成績は不本意な結果に終わっております」
「今後のビール事業につきましては、規模は大幅に縮小となりますがグループ内の東日本沢内総合開発株式会社(従来より銀河高原ビールをOEM 生産)において、ブランドを継承し『銀河高原ビール』の製造販売を継続して参ります」

業績悪化の要因のひとつとして、大手の相次ぐ低価格化、そして発泡酒などのライバルの登場によって地ビールが「高級品」となり、消費者がなかなか手を出さなくなってしまったことを挙げているなり。確かに、100円台で購入できる発泡酒やビールが多い中、地ビールはモノによっては500円、600円するものはザラなりからね。「銀河高原ビール」はもう少し安い価格設定だったとはいえ、同じ地ビールの括りから脱却することができなかったことが、敗因だったのかもしれないなり。

今後は東日本沢内総合開発を通じて、従来の年間生産量の約1割に当たる800キロリットル程度の出荷は続け、ブランド名は維持する予定。辛うじて「銀河高原ビール」が存続するのは喜ばしいことなりが、生産量が9割減となれば飲むことができる機会も激減するだろうし、これは残念な話なりね。コ○助は「銀河高原ビール」を置いていた居酒屋チェーンの「世界のやまちゃん」に行ったときには、いつも「銀河高原ビール」を飲んでいただけに、実に悲しいニュースだったなり。

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