吉本興業の林裕章会長が肺小細胞がんのため死去。

2005/01/04 13:29 Written by コ○助

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「お笑いのディズニーになりたい」との目標を掲げ、吉本興業の拡大路線を推進してきた林裕章会長。吉本興業の「顔」とも言える人物なりよね。「本業への回帰」と、多角経営を縮小してお笑いに注力して現在の元気な吉本興業を創り上げて来たなりが、残念ながら3日夜に肺小細胞がんのため大阪市北区の病院で亡くなられたなり。享年62。

林会長は1942年9月3日、兵庫県生まれ。同志社大学商学部を卒業後、繊維会社勤務を経て1971年に吉本興業に入社。テレビ・ラジオ部長、宣伝広報室長、常務、専務、副社長を経て1999年に社長に就任し、国内では関西以外の地域への積極的な進出、海外では中国でのエンターテインメント事業の展開を推し進めるなど、グローバル戦略を打ち出して来たなりね。また、マリナーズの長谷川滋利投手や小室哲哉といった、お笑い以外のタレントを所属させ、吉本興業に新たな風を吹き込んだのも林会長だったなり。

現在の吉本興業は林会長のワンマン態勢だったという話もあるなりが、吉本興業の舵取りについて今後の展開を語っていたインタビュー記事が、昨年6月にスポーツニッポンに掲載されていたなりよ。どのようなことを語っていたのかを少し見ておくと。

「2年前から本業のお笑いに力を入れて、なんばグランド花月などの公演回数を増やしたりして、観客動員も増えて興行成績がずいぶん良くなりました」
「(業績が好調な理由は)うまいことメディアに乗れた。大阪のお笑いの言葉が全国制覇したことが大きいですね」
「東京にも、なんばグランド花月にひけをとらない劇場をつくれるんじゃないか。他社にはマネをできないほどの層の厚さもある。本来は100周年(1912年創業)の事業として残しておいたが、前倒しで一気に。早急に場所を探したいなと思っている」
「テレビ・ラジオは7割が東京。もう8割に近いかもしらん。しかし、吉本らしい芸人を育てるには大阪が一番適しているのではないかな。それは大事にしていきたい」
「(今は)ヨシモト時代かな。バラエティー番組の半分以上は吉本で占めてるじゃないですか。これ以上、攻めようがないぐらいに」

M-1グランプリなどの成功によってお笑い芸人を目指す若者が全国的に増えていることから、林会長が次の大プロジェクトとしてぶち上げていたのが、東京・新宿に座席数1,000席規模の劇場を作る計画。新宿にはすでに専用劇場の「ルミネtheよしもと」があるなりが、ここの座席数は458とやや手狭となっているため、より本格的な劇場の建設に乗り出す……という計画だったなり。まだ建設場所選定の段階だったなりが、ひょっとしたら林会長の他界が、劇場建設計画にも何らかの影響を与えてくるかもしれないなりね。

一時代を築いた林会長の他界は、今後の吉本興業にも大きな影響を及ぼすはず。次に吉本興業の舵取りをする人物が誰になるのか、吉本興業がどのような方針転換をしていくことになるのか、といったことにも注目しておく必要がありそうなりね。

林会長のご冥福をお祈りしますなり。

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