元阪神のセシル・フィルダー氏が多額の借金を抱え失踪。

2004/10/20 18:22 Written by コ○助

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1980年代後半、最下位低迷が続いていた阪神に「現役メジャーリーガー」の触れ込みで助っ人としてやって来たのがセシル・フィルダー氏。ポンポンとホームランを量産する様は、それまで阪神ファンの脳裏に焼き付いていたランディ・バース氏を彷彿とさせるものがあったなりよね。来日1年目にいきなり打率.302、38本塁打、81打点と強烈なインパクトを残し、向こう何年かは阪神の助っ人は安泰と誰もが思っていた矢先の1989年9月。フィルダー氏は自らのミスでバットを小指に当ててしまい、骨折。シーズン終了を待たずしてアメリカに帰国し、二度と阪神に戻ってくることは無かったなり。

翌1990年、骨折も癒えたフィルダー氏はデトロイト・タイガースと2年契約を結びメジャー復帰。1年目から打率.277、51本塁打、132打点の活躍で本塁打王と打点王のタイトルを獲得。続く1991年には打率.261、44本塁打、133打点で再び本塁打王と打点王のタイトルを獲得、1992年には打率.244、35本塁打、124打点で3年連続の打点王に輝く偉業を達成。ア・リーグの3年連続打点王はあのベーブ・ルース氏以来という、まさに快挙だったなりね。

メジャー復帰後のフィルダー氏の活躍する姿を見て阪神ファンが地団駄を踏んでいたのは言うまでも無いなりね(笑)。まあ阪神のスカウトの見る目は間違っていなかった、というのが気持ちの落としどころだったように思うなり。

その後、フィルダー氏は1996年にヤンキースに移籍。シーズン通しての活躍はできなかったなりが、ワールドシリーズでは抜群の勝負強さを見せるなど、非常にインパクトの強いプレーを見せていたなりよ。そして、成績の低迷を理由に1998年に現役を引退。日米で鮮烈な活躍をしたプレーヤーとして、野球ファンの間では広く認知されているなりね。

そんな華々しい野球人生を送ったフィルダー氏なりが、現役引退直後の1999年2月に「トランプカジノの店で数時間のうちに58万ドル(約6,380万円)を使った」のを手始めに、ギャンブルで莫大な借金を抱え、失踪してしまったというなりよ。別居中の妻は、12歳の娘との生活費が送られて来ないため、生活に困窮しているのだとか。

まさに天国から地獄。阪神でプレーしていた時にもリアルタイムでフィルダー氏を見ていたコ○助としては、こんなニュースは寂しい限り。人間、転落するときはアッという間なりね。あれだけの実績を残してきたフィルダー氏なので、きっと野球界で出来る仕事はいくらでもあったはず。失踪なんて悲しい結末ではなく、またいつかコーチでも監督でも、どんな仕事でも表舞台に帰ってきて欲しいものなり。

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