埋葬を前にルイ17世の心臓が公開。

2004/06/09 05:14 Written by コジマ

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1795年に幽閉されていたタンブル塔で、結核のために10年の短い生涯を閉じたルイ17世(ルイ・シャルル王子)。浮浪児とのすりかえ説などから、「我こそが…」と名乗り出る者が後を絶たなかったのだけれど、2000年に行われた鑑定の結果、母・マリー・アントワネット側の家系とDNAが一致し、200年にわたる謎は一応決着したのだ。そして今月7日に、DNA鑑定を終えたルイ17世の心臓が、王家の墓所であるサン・ドニ大聖堂へ戻される前に、パリのサン・ジェルマン・ロークセロワ教会で公開されたそうなのだ。

なんで200以上も前に死んだ人の心臓が残っているのかというと、ルイ17世の解剖を担当した医師が心臓をハンカチでくるんで持ちだし、アルコールに漬けた後に乾燥させたとのこと。その後心臓はさまざまな人の手にわたったそうだけど、最終的にはサン・ドニ大聖堂に安置されたのだ。

2000年にDNA鑑定が行われたきっかけは、数ある自称者のなかでも最も有名なシャルル・ギヨーム・ノンドルフさん(1845年没)が本物かどうかを確かめるため。このノンドルフさんは、1833年に「オレ様ちゃんはルイ14世だもんね!」と名乗ったのだけれど誰一人相手にせず、イギリスに追放されちゃった人。だけど、あつかましいというかなんというか、彼の子孫は王家の苗字である「ブルボン」を名乗っているそうなのだ。その子孫の1人であるシャルル・ルイ・エドモン・ド・ブルボンさんは、この鑑定結果に「こんなのウソっぱちだ! (検査を行った教授は)オレたちを破滅させようとしているんだ!」と猛抗議中だとか。

ちなみに、ノンドルフさんのDNAは何度検査してもマリー・アントワネットやその親族とは一致しなかったそうな。うーん。

ルイ17世は、革命の足音が聞こえる1789年に兄が死んだことによって王太子となり、父母を処刑され、孤独で陰惨な幽閉生活を送らされた挙げ句に10歳で病死した。「暴君の子として当然の報い」という革命側の市民の呵責ない所業は、すばらしさばかり強調されるフランス革命のダークサイドとして、もっと語られるべきなのではないだろうか。過酷な死の後も体の一部をもてあそばれたシャルル王子。もう二度と世に出ないことを祈るばかりなのだ。

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