「ホンジャマカ」の石塚英彦インタビュー。

2004/03/16 04:08 Written by コ○助

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コ○助のホンジャマカの初期の想い出は、10年以上前にさかのぼるなり。最も印象深いのは1993年6月からフジテレビ系で放送されたバラエティ番組「大石恵三」なりか。一応存在自体は「大石恵三」よりも前から知ってはいたなりが、コ○助が記憶している限りでは「大石恵三」はホンジャマカとバカルディ(現さまぁ〜ず)による初の冠番組だったと思うなりよ。大竹一樹の「大」、石塚英彦の「石」、恵俊彰の「恵」、三村勝和の「三」をくっつけて「大石恵三」。まだ恵俊彰が今よりも太っていて、石塚英彦が痩せていた時代の話なり。

「大石恵三」はコントをやったりする定番のお笑いバラエティ番組だったなりが、裏番組が絶頂期の「電波少年」という不運も重なり、あえなく半年で打ち切り。これに関して以前なにかのテレビ番組でバカルディが出演していた際に「『電波少年』の裏番組だったので数字取れなくて仕方ないと思ったら、後番組の『料理の鉄人』が数字取ってしまったので、言い訳ができなくなった」と語っていたなり。そうそう、「料理の鉄人」は当初30分番組からスタートしていたなりよね。挑戦者を決める予選から放送されていて、45分番組となって一般認知された「料理の鉄人」とは若干趣の異なる番組だったなり。

まあそれは良いなりが、この「数字が取れなかった」ことが理由なのかどうかは分からないなりが、その後ホンジャマカ&バカルディは低迷してしまうなりね。番組前までは「波が来ている」と思っていたものの、アッという間にその波は消えてしまったなりよ。そしてブレイクする間での長い長い道のりが始まるわけなり。

その後バカルディはさまぁ〜ずと改名してブレイクし、ホンジャマカもピンの活動が増えてからブレイク。結果としては、双方ともに良いかたちになったのは皆さんもご存知のとおり。そう思うと、ちょっと「大石恵三」は仕掛ける時期が早かったのかもしれないなりねぇ。ま、そんな歴史を持つホンジャマカの石塚英彦のインタビュー記事が日刊スポーツに出ていたのでご紹介を。

「今、デブタレ仲間で空前の健康ブームが巻き起こっていて、みんな何かしら運動を始めたんです。僕やパパイヤ(鈴木)、内山(信二)君がジム。松村(邦洋)は走って、伊集院(光)君はバスケットをやっています」
「30代までは肉食獣でした。でも40代に入ってから魚と野菜の喜びも覚えて」
「僕ね、思われているほど1度にたくさん食べないんですよ。ただ消化が早い」

結婚秘話や笑いへの考え方など、真面目に語る石塚英彦のインタビュー。ファンならずともぜひぜひ。

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