ゲーム界のカリスマ、高橋名人インタビュー。

2004/03/04 04:18 Written by コ○助

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コ○助の世代なら、誰もが何らかの関わりを持ったであろう高橋名人。「名人」という肩書きに魅せられた人、「16連射」のテクニックに魅かれた人、影響を受けて「スターソルジャー」や「シュウォッチ」をやりまくった人……。ファミコン全盛期、多くの小学生を虜にし、ゲームの楽しさを教えてくれた高橋名人。2002年に日刊ゲンダイに掲載された「あの人は今こうしている」の中で「名人は5年でやめ、正直、それからは取材を受けるのはほとんどお断りしてたんです」と語っているなりが、その言葉のとおり、「名人」引退後は露出が極端に少なくなったので動向が気になっていた人も多いのではないかと。

今回、ロングインタビューが掲載されたのはソニーの「VAIO」のページ。なぜ「VAIO」と高橋名人なのかはさておき、「名人」になるまでの話や「名人」時代の苦労話など、かなり興味深い内容になっているなりね。

「ハドソンに入る前はスーパーマーケットで働いてたんです」
「(入社前は)家庭用テレビゲームなんて触ったこともなかったですね」
「僕が言うのも何ですが、当時、高橋名人の影響力は大きかったんですよ。テレビで『このゲーム面白いよ!』と言えば、実際に売れましたから」
「率直に言うと、高橋名人をやっていて良いことなんてなかったですね」
「ゲームは朝起きて1時間くらいしかプレイしてなかったんですよね。趣味っていうより、仕事でやらざるを得なかった、というところ。ちっとも楽しくはないですよ」
「最近のゲームは頂点を目指し過ぎたと思うんです。さらに難しく、もっと複雑に……ってなったでしょう」

「名人」時代にはあまり良い思い出が無いようで、会社からは歌舞伎町のような歓楽街を歩くことすら禁止されたり、趣味のバイクに乗ることも禁止されていたのだとか。睡眠時間は平均2時間半というハードな生活を送っていたようなり。いつもニコニコしていた笑顔が印象的だった高橋名人なりが、売れっ子ならではの苦悩を抱えていたなりねぇ。

ちなみに高橋名人の現職は、ハドソンの「ハドソンブランド事業本部事業推進部営業課マネージャー」。宣伝担当のマネージャーのようなりね。ハドソンのサイトには「高橋利幸のとある1日」というページがあるなりが、一日の仕事は市場調査や会社訪問の対応、雑誌取材にメディア出演など、実に多忙な様子。「名人」を辞めても、なかなか大変そうなお仕事なり。

ファミコン世代の人はとにかく必見。そうでない人も、ゲーム業界の偉人でもある高橋名人のインタビューは必見なり。

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