五輪代表の注目株、田中マルクス闘莉王選手とは。

2004/02/23 22:27 Written by コ○助

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アテネに向け、フル代表と異なり内容のある良い試合を続けている五輪代表。同世代の強豪イラン戦では平山相太選手のゴールで1-1の引き分け、フル代表のロシア戦でも互角に渡り合って引き分け、先日の韓国戦では2-0の完勝。その中で最も注目を集めているのは高校生ストライカーの平山選手には違いないなりが、同様にその能力を高く評価され、重用されているのが田中マルクス闘莉王選手なり。サッカーファンにはもうすっかりおなじみの選手なりが、闘莉王選手の現在ではなく、過去に触れた記事があったのでご紹介を。

1981年に日本人の父とブラジル人の母の間に、ブラジルで誕生した闘莉王選手。ブラジルの中学を卒業後、働きながら夜間学校に通う生活をしており、サッカーは土曜と日曜だけ。ただ、プロサッカー選手になるという夢は抱いていたようで、16歳のときに渋谷幕張高校が行ったブラジルでの入団テストに合格し、来日することになるなり。

ここでちょっと渋谷幕張高校とブラジルの関係を説明しておくなり。高校のサッカー部がブラジルで入団テストを行っているということに驚きを覚える人もいるかもしれないなりが、渋谷幕張高校はもともと帰国子女教育に力を入れていたこともあって、サッカー部は1987年からブラジル人留学生の受け入れを開始。毎年1年生部員を率いてブラジルに遠征を敢行するなど、かなりサッカー部の強化に力を入れている学校なわけなり。サッカー部を率いるのは日系ブラジル人2世の宗像マルコス望監督ということも、ブラジルとのつながりを強くしているなりね。

闘莉王選手は渋谷幕張高校に入学後、学校の寮で生活をしながらサッカー三昧の日々を送ることに。やはり見知らぬ土地、言葉も文化も違うなかで、ホームシックにかかりながら相当な苦労をしたのだとか。

その後サッカー選手として頭角を現してきた闘莉王選手はサンフレッチェ広島に入団するなりが、外国人選手枠の問題もあって水戸ホーリーホックにレンタル移籍。そして昨年末に浦和レッズへと移籍、日本への帰化も実現したなりね。

そんな闘莉王選手のプレースタイルは、時に「重戦車」と表現されるほどの強行突破。DFながら果敢に攻め上がるスタイルは、時に守りを手薄にして味方にピンチを招く局面を作り出すなりが、今のところそれを補って余りある攻撃への貢献が評価されている感じなり。代表に今まであまりいなかったタイプのDFなので、五輪代表のみならず、今後招集されることになるであろうフル代表でもどういったプレーをしていくのか楽しみなりよね。

五輪代表は最終予選のために3月1日にバーレーン、3日にレバノン、5日にUAEと対戦。立て続けに試合が行われるので、ぜひ闘莉王選手のプレーにも注目してくださいませ。

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