阪神の浜中 おさむ外野手が背番号「31」を継承。

2003/11/21 23:42 Written by コ○助

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阪神にとって、重い、重い背番号の「31」。「ミスター・タイガース」こと掛布雅之内野手が背負っていた番号ということで、阪神ファンにとっては非常に意味のある背番号なりよ、「31」番は。この番号を背負った選手は常に掛布選手と比較され、大きな期待をかけられることを宿命付けられているわけなりが、掛布選手引退から15年近くが経つものの、いまだに番号に見合う活躍をした選手がいないなりね。と、言っても掛布選手引退後は欠番になることが多く、この番号を実際に背負ったのは2人だけなりが。

簡単に阪神の背番号「31」の歴史を振り返ってみるなり。
・1939年〜 堀尾文人外野手
・1942年〜 玉置玉一投手
・1944年〜 欠番
・1950年〜 森田忠勇コーチ
・1953年〜 河西俊雄コーチ
・1958年〜 戸梶正夫捕手
・1966年〜 滝川博巳外野手
・1967年〜 カークランド外野手
・1974年〜 掛布雅之内野手
・1989年〜 欠番
・1992年〜 萩原誠外野手
・1998年〜 欠番
・2000年〜 広沢克実内野手
・2004年〜 浜中おさむ外野手

掛布選手引退後はしばらく欠番が続いていたなりが、1992年にはドラフト1位として入団した萩原誠外野手が背負うことになったなり。萩原選手は、1991年、大阪桐蔭高校が夏の甲子園に初出場・初優勝したときに4番打者として活躍した期待の星だったなりが、一軍では結果を残すことができず、まったく「ミスター・タイガース」と呼べるような成績では無かったなりね。相当なプレッシャーもあったのだと思うなりが、ドラフト1位の選手だっただけに、なおさら寂しいものがあったなりね。
広沢選手が「31」を背負っていたのは記憶に新しいところ。まあ選手としてのピークを過ぎてから阪神に移籍してきた広沢選手なので、やっぱり「ミスター・タイガース」とは呼びづらく。なので、本当の意味で掛布選手が築き上げた「ミスター・タイガース」=「31」の系譜を受け継ぐ選手はまだ出てきていないわけなり。

ただ、浜中選手は、実際に結果も残してきているし、これからも伸びそうな選手という意味では「31」は適した番号なりよね。今後の活躍如何では「ミスター・タイガース」と呼べるだけの活躍をしそうな予感は確かにするし。プレッシャーに押しつぶされることなく、どうかその番号に恥じない成績を残して欲しいものなり。

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