元阪神の投手にして実業家の小林繁氏が自己破産。

2003/10/04 03:33 Written by コ○助

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コ○助は、野球選手としての小林氏の姿はうっすらとした記憶しか無いなりよ。引退したのが1983年のことなのでそれも仕方ないことなりが、小さいコ○助の目には下手投げの投手が物珍しく、その存在自体が興味深かったなりね。また、当時プロ野球チップスの野球カードを集めていたなりが、すでに阪神ファンだったコ○助のコレクションの中には小林氏のカードもしっかりとあったような記憶があるなり。

印象が強く残っているのは、やっぱり引退後にテレビのスポーツキャスターとして活躍している頃のことなりかねぇ。まあそれもフジテレビ系「プロ野球ニュース」の佐々木信也氏ほどの強烈なイメージでは無いなりが。何だか頬のこけた、独特な顔立ちの小林氏が、今で言う「イケメン」扱いだったことに、子供ながらに腑に落ちなさを感じていたのかもしれないなり。

つい2001年までは近鉄のコーチとして指導をしていたなりね。コーチ就任当時は、梨田昌孝監督、真弓明信打撃コーチと共に「マダムキラー内閣」なんて呼ばれていたのが、直近の小林氏に関する大きな話題なりかねぇ。大きくは無いなりが(笑)。しかし、マダムキラーって……。

全然野球人としての小林氏の話を書いていないなりが、小林氏は1971年にドラフト6位で巨人に入団。メキメキと頭角を現し、巨人のエースにまで上り詰めたなりが、有名な「江川事件」で阪神へトレード。小林氏はこの阪神へのトレードが相当嫌だったようなりが、阪神に移籍した1979年には22勝9敗1S、防御率2.89という驚異的な成績を残し、最多勝と沢村賞も獲得しているなりね。以後引退した1983年まで2ケタ以上の勝ち星を挙げ、阪神でもエースとして活躍をしたなり。巨人と阪神の間では選手が移籍すること自体がそうそう有ることでは無い(コ○助が今パッと思いつくのは、小林氏と広沢克実内野手しかいないなり)上に活躍したということで、阪神ファンの間でも語り継がれている名選手の一人なりね。

そんな小林氏なだけに、自己破産の話は少々寂しい話。引退後に実業家として飲食店の共同経営などをしていたようなりが、これが裏目に出て4億円もの負債を抱えてしまったのだというなり。

自己破産したからといって全てが終わるわけでは無いなりが、あれだけの大選手が置かれている今の状況。切なくなってきたなりよ。また野球界に戻ってきて、地道に社会復帰して行くことができれば良いなりね。頑張って立ち直って欲しいものなり。

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