胴上げされるタテジマを眺めながら。

2003/09/16 05:13 Written by コ○助

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バンザーイ!バンザーイ!胴上げされる星野監督。ジャンプして喜ぶ選手たち。おめでとう、本当におめでとう。これが長年見たかった光景。もう叶わぬ夢だと思っていた光景。誰かが言っていたなりが、ハレー彗星よりも見られる回数は多いものの、一生に3回見られたらラッキーだという、阪神の優勝の光景。テレビの前で、コ○助も呆然とその光景を眺めていたなり。

さて、いったい何から話し始めれば良いなりかね。

阪神にマジックが点灯してから2か月。ずっと「優勝が決まった日に何を書こうか」と考えていたなりが、考えれば考えるほど、この18年間の積み重なった思いが蘇ってきてしまい、どうも話としてまとまらないなりね。本当に18年、とても長かったなりよ。と、いうわけで、今日は思いつくまま、つらつらと阪神に対する思いを綴ってみようと思いますなり。

コ○助は大の阪神ファン。これは皆さんもご存知の事実だと思うなりが、コ○助の阪神ファン歴は今年で27年目を迎えたなりよ。生まれた時からの阪神ファン。東京在住、両親も東京出身という環境の中で、どうやって阪神ファンになったのかを謎に感じる人もいるかと思うなりが、コ○助の場合は両親も阪神ファンだったなりね。なので、コ○助が阪神ファンになるのは、ある意味必然だったわけなり。

幼稚園の頃、コ○助がよく遊んでいたのはプロ野球カード(正式名称失念)。サイコロ2つを使って、各選手のカードの裏に書かれた出目(1−1はホームラン、2−3はセンターフライ等)を出して試合をするというゲームだったなりが、コ○助が使う球団はいつももちろん阪神。幼稚園の頃には、既にコ○助の中に「阪神ファン」としての自我が芽生えていたなりね。いつも1番は真弓、3番に掛布、4番は藤田平、エースは小林繁。若干5歳とか6歳だったコ○助は、すでにそんな起用方法を頭にたたき込んでいたなり。

阪神が優勝した1985年。この時阪神は21年ぶりの優勝だったために、前回優勝時の1964年の回顧記事のようなものをよく見かけていたなりよ。1964年の阪神のメンバーといえばバッキー、村山の時代。幼心に「えらい昔の話だなぁ」と思っていたものなりが、実際に1985年から2003年まで18年もの月日が流れていたわけで。きっとリアルタイムに1985年の優勝を見ていない世代にとっては、バース、掛布、岡田といった面々も、コ○助がバッキー、村山に感じた「過去の偉人」的な感覚なりかねぇ。

1985年、当時9歳のコ○助は、優勝の瞬間を自宅リビングの居間で、家族揃ってテレビ観戦をしていたなり。ハッピを着て、ハチマキをして。メガホンを持ってテレビで阪神優勝の瞬間を見ていたなりね。ワクワクしたなりねぇ、本当に。最後、中西清起投手がジャンプして喜んでいる瞬間。コ○助たちも抱き合って喜んでいたなりよ。18年も前の話なりかぁ。

18年間というと、赤ちゃんが高校を卒業するまでという、恐ろしく長い期間。コ○助はその期間、実家で契約していたデイリースポーツを毎朝チェックしながら、「阪神は再び優勝するはずだ」と信じながら、毎日毎日、来る日も来る日もデイリースポーツの紙面を追い続けて来たなりね。そう考えると、我が家は18年以上デイリースポーツを契約してきたわけなりか。それも凄い話なりねぇ(笑)。

あぁ、何だか動揺してて、話がまとまらないなり。18年間、本当に重い、重い18年間。また冷静に書ける時が来たら、もう少しまともな話をしたいと思いますなり。

とにかく、胴上げされるタテジマを見て幸せを感じているのは確か。優勝おめでとう。本当に嬉しいなりねぇ。

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