「黄金時代を築くために」ランディ・バースインタビュー。

2003/08/01 09:49 Written by コ○助

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♪バースかっとばせバース、ライト〜へレフトへホームラン〜。史上最強の助っ人の名を欲しいままにした伝説の助っ人、ランディ・バース。当時8歳のコ○助が目撃したバースの豪弾の数々は、いまだに鮮烈な記憶として蘇ってくるなりよ。左打席からポンポン飛び出す本塁打の数々。バースを越える活躍をする外国人選手が現れない上に、球団の一方的な解雇処分によって阪神を去って行った経緯などから、今も昔も、阪神ファンにとってはずっと崇められる存在で有り続けているランディ・バース。その「神様」が今年の好調な阪神について語っているなり。

「ファンの声援、甲子園の音。あの中でプレーをするのが本当に幸せだったよ」
「(85年は)チーム打率は高かったし、なにしろ笑いが止まらないほどホームランが打てたチームだった」
「(85年の吉田義男監督は優勝の翌年)えっ?これが同じ人間?って聞きたくなるほど監督が変わってしまってね(中略)選手の反発も凄かったし、優勝の翌年とは思えないほどチーム内の空気が悪かった」

このインタビュー記事は現在発売中のNumberに掲載されているものがWebで公開されているものなりが、コ○助はNumberを読みながら思わず涙がほろり(笑)。1986年、優勝翌年の雰囲気がそんなにも悪かったのか、ヨッさんはそんなに人が変わってしまったのかと、プチショックを受けたなり・・・。チラホラとそんな話を聞いたことはあったなりが、神様の口から実際にそのことに触れられると、何だかリアルなりねぇ・・・。

バースは何度も来日をしてくれているので、それほど「懐かしい!」という感じはしないなりよね。阪神を去ってから20年近い時が流れているなりが、あまり見た目も変わっていないし、今にも打ってくれそうな雰囲気が残っているなり(笑)。あぁ、いつの日か、日本でコーチでもやってくれないなりかねぇ・・・と10年以上思っているのに実現されず。やっぱり辞め方が良く無かったなりからね。仕方がないなり。しかし息子のザクリー君はその後病気は治ったなりかね。そして牧場経営はどうなったのやら。バースの私生活も、ちょっと気になるところなり。

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