フジテレビ系「トリビアの泉」プレイバック(7月9日放送分)。

2003/07/10 07:21 Written by コ○助

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9日に放送された「トリビアの泉」。恐らくは初回同様、また高視聴率を記録しているとは思うなりが、結構「見逃した」「野球中継のせいでビデオ録画に失敗した」という声を聞くので、簡単にコ○助の雑感を交えながら振り返ってみるとするなり。まああんまり詳しく書いてしまっても問題なので、詳しくはいずれなるであろう書籍を見てもらうとして、あくまでもコ○助の雑感を中心に。

その前に、ゴールデンタイムでの全国放送となったということもあって、初回放送直後から「『トリビアの泉』面白い」という称賛の声が次々とコ○助のもとにも届いているなりよ。深夜のときのテイストとさほど変化がないこともあって、ゴールデン進出を契機に「トリビアの泉」を知った人も、深夜時代に感動した人と同様の感動を覚えているんだろうなぁ、と。いや、本当にまだ見たこと無い人(意外と周囲には多い)には、早く見て欲しいところ。バラエティー番組としてはかなりの高視聴率を取っている番組なだけに、早いところ見ておかないと話題に乗り遅れていくなりよ〜。

で、9日放送の「トリビアの泉」。先週の「予告トリビア」(次週の目玉となる「トリビア」を途中まで紹介するコーナー。次週も見逃せない、という気持ちにさせる)で「引田天功はほにゃらら」という、引田天功ウォッチャーのコ○助には気になる予告だったので、いったいどんな「トリビア」が飛び出すのかと、ドキドキして今週を迎えたなりね。え?いつからコ○助が引田天功ウォッチャーだったかって?(笑)。では、2001年6月13日付けの「今日のなりなり。」を振り返ってみることにするなり。おお、2年前。テキストってのは残しておくと良いなりねぇ。と、いうか、こんな長文を毎日書いてたかと思うと、我ながら天晴れなり(笑)。

※※「今日のなりなり。」2001年6月13日※※
コ○助の記憶の中にある引田天功は、間違いなく男だったなり。
引田天功と聞いて、「あ、あのイリュージョニストの?」と即答する人は、恐らく20代前半か10代の人かもしれないなり。
そう、引田天功は二人いるなりよ。
まずは初代引田天功のお話。
初代引田天功は1934年に生まれ、1979年に他界した天才「脱出家」なり。
初代は男性なりね。
日本テレビ系で放送されていた特番で「海中大脱出」「火炎地獄からの大脱出」といった大仕掛けな脱出マジックを敢行し、お茶の間の人たちの度肝を抜かせたのが初代引田天功なり。
日本テレビ系で最初の特番が放送されたのは1963年。
最後の特番が放送されたのは1975年。
コ○助は1976年生まれなので、この特番を見たことがあるわけは無いなりね。
なにやら時代が合わないような。
でも、コ○助はしっかりと「引田天功=男」というのを記憶しているなりよ。
これは、当時のことをあまり記憶していないので確かではないなりが、恐らく初代引田天功の手品本を持っていたために、記憶の中に「引田天功=男」という映像が焼き付いているのだと思うなり。
したがって、コ○助は残念ながら動く初代引田天功を見たことがないと思われるなりよ。
コ○助が幼少の頃に再放送をやっていたか、それとも最後の日本テレビ特番となった1975年から、他界する1979年の4年間の間に、何らかの形でテレビで脱出マジックを披露していたのであれば、もしかしたら動く初代引田天功を見ていたのかもしれないなりね。
なにぶん、そこらへんに関してはちょっと記憶が曖昧なので何とも言えないなりが。
全く関係ないなりが、この初代引田天功の娘さんの引田智子は少女隊の一員として芸能界デビュー、少女隊解散後はTVアニメ「こどものおもちゃ」で声優デビューするなど、結構いろいろなことをしているようなり。
それは良いとして。
で、今。
現在二代目引田天功として活躍しているのは、もともと1970年代後半に「手品もするアイドル歌手」として売り出し中だった朝風まりという人物なり。
今思うともの凄く変わったキャッチコピーなりよね。
「手品もするアイドル歌手」って(笑)。
初代引田天功に師事したのが1976年。
1977年に初代引田天功が心筋梗塞で急に倒れ、予定していた日本テレビの特番を朝風まりが代役として出演したものの、この時の脱出はうまくいかなかったようなり。
ここら辺もちょっと当時1歳のコ○助には記憶にないなりね。
その後1979年に初代引田天功が急逝し、二代目襲名に際して弟子の間で激しいバトルがあったようなりが、それを勝ち抜いて二代目の座を奪取したのが朝風まりというわけなり。
コ○助は二代目引田天功がテレビで脱出劇をやっていた1980年代初頭の記憶は結構しっかり残っているなりよ。
意図的なのか、当時の実力なのかは定かではないなりが、とりあえず脱出マジックに失敗することがしばしば。
なので次第にコ○助の中では興味が無くなっていってしまったなりよ。
その「マジックに失敗する」というのが逆に画期的だったという人もいるようなりが(笑)。
まあそれに比例するかのように、気が付けば日本のブラウン管からは姿を消し、海外で活躍するようになったのは皆さんも周知のところなり。
その後二代目引田天功は1990年にマジック界最高の栄誉である「米国マジック・アカデミー大賞」を受賞、世界的な「イリュージョニスト」としての地位を確立し、アニメ番組「テンコーと魔法軍団」の主役「TENKO」として活躍するなど、日本よりもむしろ海外での評価の方が高いようなりね。
最近では「ハリウッドスター(←コ○助は認めないなりが)のジャン・クロード・バンダムと熱愛が発覚、結婚か」というニュースが流れたりしているなりが、アメリカでは「ハリウッドスターと肩を並べるほどのスター」と言っても良いようなので、そんなに不思議な組み合わせではないようなり。
日本人のコ○助の感覚からすると、なんだか変な組み合わせにしか見えないなりが(笑)。
このように、コ○助のイメージでは「初代引田天功=脱出家」「二代目引田天功=イリュージョニスト」というものなので、なんだか全く別物のような気がするなりよ。
もちろん男女の違いというのも大きいなり。
しかし、別物というのはきっと初代引田天功はコ○助の頭の中でかなりイメージが増幅されているため、「もの凄い人」になってしまっているだけなのかもしれないなり。
二代目引田天功の方はテレビでマジックに失敗しているところをしばしば見かけていたので、そんなに「もの凄い人」とは思えないのかもしれないなりね。
日本で活動していなかった時期も長かったし。
でも、コ○助は基本的にマジックとかイリュージョンは大好きなので、機会があったら世界の名声を欲しいままにしている二代目引田天功のステージも見に行ってみたいなり。
なかなか東京でやっているという話を聞かないのが残念なりが、今度機会があったら行ってみるなりね。
皆さんはどっちのイメージの方が強いなりか?
初代引田天功?二代目引田天功?
余談なりが、初代引田天功に最新の西洋マジックの知識を教えていたのはナポレオンズだったということは、あまり知られていない事実のようなり。
ナポレオンズは初代引田天功の弟子だったなりが、最新の情報に関しては当時大学生だったナポレオンズの方が詳しかったみたいなりね。
え?ナポレオンズを知らないって?
そういう人はちゃんと日本テレビ系の「笑点」を見るべし。
※※ここまで※※

と、いうわけでコ○助が熱い引田天功ウォッチャーだったということはお分かりいただけたかと思うなりが、それだけに、「トリビアの泉」でどんな話題が出るのかとドキドキ。

放送の中で出てきたのは「プリンセス・テンコーは昔アイドル歌手だった」というトリビア。あらら。朝風まりの話だったなりか。しょぼん(笑)。でも、番組の中では実際に網タイツはいた手品師の姿で、歌いながら手品をする朝風まりの映像が流れていて、これはさすがに見たことがなかったのでちょっと感激。「トリビアの泉」、やっぱり良い感じなり。

では、9日放送分を見逃してしまった人のために、トリビアの内容を列挙。以下、「まだ見てない」という人は、見ないことをオススメするなり。

※※※以下ネタバレ※※※
・「豚に真珠」はキリストの言葉である(70へえ)
・JRの仮眠室には絶対に起きられる目覚まし時計がある(77へえ)
・アメンボも溺れる(78へえ)
・プリンセス・テンコーは昔アイドル歌手だった(79へえ)
・渋谷には昔ロープウェーが走っていた(81へえ)
・ベン・ジョンソンは子供に財布を盗られて逃げられた(89へえ)
・ガムテープを勢いよくはがすと光る(90へえ)
・コアラの赤ちゃんはお母さんのウンチを食べて育つ(91へえ)

今週も素敵なトリビアがいっぱい。来週はお見逃しなく〜。

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