さよならデータイースト。

2003/07/08 03:20 Written by コ○助

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データイースト。この中堅ゲームソフトメーカーは、コ○助にとって非常に思い入れ、そして想い出のあるメーカーなりよ。近年はヒット作に恵まれず、1999年には33億円の負債を抱えて和議を申請、その後過去のヒット作の続編などを製作することができるライセンシーの販売などで苦しい台所事情を切り抜けてきたようなりが、ついに6月25日に東京地方裁判所から破産宣告を受け、経営再建を断念することになったしまったなり。

コ○助がなぜデータイーストに思い入れがあるのか。それは単にコ○助と同じ1976年に誕生した会社だから、というわけではなく、大きく2つの理由があるなりね。
ひとつは、居を構えていた場所がコ○助の家の近所。実に近所。歩いて10分もかからないところにデータイーストはあったなり。昔から前を通るたびに、データイーストのゲームを実際にプレイすることも多かった小学生時代のコ○助は、「あぁ、あのゲームはここで作られてるんだなぁ」と、胸をときめかせていたものなりよ。煌々と夜も電気が消えなかったデータイースト。まだ元気だった頃の話なり。
もうひとつは、コ○助がハドソンの「スターソルジャー」(1986年)よりも前に出会い、ナムコの「ゼビウス」(1982年)よりもハマったシューティングゲームが、データイーストの「B-ウイング」だったということ(笑)。本当に、今でこそあまりゲームをしなくなってしまったなりが、当時のコ○助は普通にゲーマーだったなりからね。シューティングゲームが人気の頃だったし、他とは毛色の違う「B-ウイング」には相当魅せられたなりよ。
「B-ウイング」は縦スクロールのオーソドックスなシューティングゲーム。10種類以上あるオプションパーツと合体することで、多彩な攻撃ができるという、今でこそ当たり前になっているコンセプトを20年も前に実現していたシューティングゲームだったなりね。正確な年表を把握していないので推測の話なりが、この「攻撃オプションを増やしてパワーアップしていく」というコンセプトは、コナミが「グラディウス」(1985年)を発表する以前では、そうあるものでは無かったように思うなりよ。SNKの「ASO」も似たようなコンセプトだったなりが、あれも確か「グラディウス」と同じ1985年の作品なりね。そういう意味でも「B-ウイング」はコ○助の中では相当画期的なシューティングゲームだったわけなり。

ついでなので語っておくと、コ○助は1987年にデータイーストが発売したRPG「ヘラクレスの栄光」にもハマったクチ。当時、エニックスの「ドラゴンクエスト2」が大ブレイクした頃だったこともあって、各社からRPGがたくさん発売されていたなりね。データイーストが放った「ヘラクレスの栄光」は、明らかに「ドラクエの偽物」というレッテルを貼られていたほど、あまり出来が良かったわけではなかったない作品だったなり。ただ、とにもかくにも「ドラクエシリーズ」が開拓したファミコンにおけるロールプレイングゲームの道にしっかりと乗った作品だったことには違いなく、ある意味では奇をてらわずに正しい道を歩んだ作品とも言えるなりね。あまり初代の(のちにシリーズ化されている)「ヘラクレスの栄光」をやったことがあるという人に出会ったことがないなりが、皆さんは存在からして知っているなりか?「ドラクエに追いつこう、追い越そう」という意欲だけは見られる、そんな作品だったように思うなり。

残念ながら、データイーストの一番のヒット作である「探偵 神宮寺三郎」シリーズに関しては、コ○助はやったことがないので語りようがないなりが、今となってはしっかりとやっておくべきだったなりね。失敗なり。

想い出深いデータイーストが破産してしまったのは、実に悲しい限り。また老舗のゲームソフトメーカーが姿を消してしまったなり。これから会社の前を通るのが寂しくなってしまうなりねぇ。

さよならデータイースト。素敵な想い出を有り難うなり。

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