君は「クイズ三国志 知略の覇者」を知っているか。

2003/07/05 13:17 Written by コ○助

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時は1991年頃。当時中学生のコ○助は、学校が都心にあったこともあって、学校からの帰り道に渋谷のゲームセンターに通うという、今の中高生とあまり変わらぬ行動を取っていたなりよ。今となっては懐かしい響きですらある「チーマー」という言葉すら無かった頃の渋谷。センター街の入り口にたこ焼き屋があって、ほのぼのとした空気すら漂っていた渋谷。今の道ばたで合法ドラッグを売りまくり、派手な女子中・高生が闊歩し、若者がたむろしているような殺伐さは当時はまだ無く、コ○助のような真面目な学生でも遊びに行くことができたなりね(笑)。渋谷に行っていた目的がゲームセンターというあたりで真面目ではなかったなりが。当時はまだ「中学生がゲームセンターなんて」という空気があった、そんなほのぼのとした時代だったように思うなり。たぶん。

コ○助は中学生の頃、光栄(現コーエー)の「三國志」シリーズや「信長の野望」シリーズの影響を受け、さらには横山光輝の歴史マンガの影響を受けまくっていたこともあって、すでに歴史モノに傾倒する日々を送っていたなり。「歴史群像シリーズ」とか、「歴史読本」とか、歴史モノの書籍を一番読んでいたのもこの頃だったなりねぇ。

そんなコ○助が渋谷を歩いていたある日のこと。ゲームセンターで出会ってしまったのが「クイズ三国志 知略の覇者」というゲームだったなり。歴史に、特に三国志にハマッていたコ○助が、このゲームをやらないわけにはいかないじゃないなりか。

実は「クイズ三国志 知略の覇者」をやり始めるには伏線があったなり。「クイズ三国志 知略の覇者」はカプコンのゲームだったなりが、このゲームが登場する前に、カプコンは「クイズ殿様の野望」というゲームをアーケード向けに投入していたなりね。「クイズ殿様の野望」はPCエンジンにも移植されていたので覚えている人も多いかもしれないなりが、織田信長、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、北条氏康、三好長慶、毛利元就、長宗我部元親の8人の武将で、クイズによる全国統一を目指すという内容。合戦は全てクイズのノルマによって勝ち負けが決まるというシステムで、例えば隣国に攻め込んだときに、隣国の防御力によって「ノルマ7問」とか「ノルマ4問」といった設定がなされており、10問出される問題の中でノルマを越えられれば勝利。越えられなければ敗退。そんな単純なシステムだったなりね。

まあこの「クイズ殿様の野望」の面白いこと、面白いこと。もともと好きだったシミュレーションゲーム的な要素(合戦で全国を統一していく)と、クイズゲームの見事な融合。コ○助はクイズゲームというジャンルはそれまであまりやったことが無かったなりが、このゲームで一気にハマり、クイズゲームのバリエーションの付け方の上手さに、ただただ感激をしていたなりよ。「クイズ殿様の野望」には、それこそ相当な金額を投じ(この手のクイズゲームは、とてもじゃないなりが、コンテニュー無しではクリアできなかった)、何とかエンディングを見た想い出のゲームでもあるなりね。

「クイズ三国志 知略の覇者」を見た時、当然「クイズ殿様の野望」にハマった時の記憶が当然沸々と蘇ってきたわけなり。メーカーは同じカプコン。そして同じ歴史物のクイズゲーム。題材は大好きな三国志。やらないわけにはいかないじゃないなりか(笑)。

基本的には、「クイズ三国志 知略の覇者」も「クイズ殿様の野望」も、ゲームシステム的には大差なかったように思うなり。これも当然ハマッたハマッた(笑)。つぎ込んだ金額はいくらか分からないほど。「クイズ三国志 知略の覇者」は、コ○助の知る限りでは、家庭用ゲーム機には移植されていなかったはず。なので、本当にアーケードで満喫した記憶がある人以外には、全く知名度のないゲームかもしれないなり。でも相当面白かったなりよ。カプコンもミュージアム系の類で、プレステ向けに移植してくれたりしないなりかねぇ。今、再びやりたくて仕方ないなりよ。この欲求を満たしてくれる日が来ることはあるなりかねぇ・・・。

ふと思い出した「クイズ三国志 知略の覇者」。想い出深いゲームだったなり。

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