「プレステは四面楚歌だった」ソニー大賀典雄名誉会長語る。

2003/02/17 08:42 Written by コ○助

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「モノ作りは5年先、10年先を見越した判断力が求められるが、自分でもよく生き残れたと思う」
「(プレステは当初)社内外で反対され、まさに四面楚歌(しめんそか)だった」

プレステが世に登場したのは1994年のこと。当時のゲーム業界はスーパーファミコン擁する任天堂の天下だったなりが、1994年という年は任天堂に対抗するべく多くのメーカーが新ハードを投入した年だったなり。セガはセガサターン、NECはPC-FX、松下電器産業は3DO、そしてソニーはプレステ。アッという間に散った3DOはともかく、他3機種はほぼ同時期に発売されたということで、その行方に注目が集まっていたなりが、スタートダッシュに成功し、他の追随を許さずにスーパーファミコンの牙城を崩したのはプレステだったなりね。任天堂がスーパーファミコンの資産を活かすことなく、NINTENDO64でコケてしまったことがソニーに味方したのは間違い無いので、ソニーに「運」があったとも言えるなりが、プレステの徹底したイメージ戦略はいかにもソニーらしい秀逸なものだったのではないかと。

ソニーもこれまで失敗した製品は数知れず。それだけにプレステの成功も決して約束されていたわけではなく、発売前の段階で社内外で反対されたというエピソードも何だか納得なりね。勝ち組となったから、笑って話せるエピソードなり。社内外で反対された上に、発売を強行してコケていたらきっと今頃大賀氏は名誉会長職にいなかったかも(笑)。

ただ、ソニーも永遠に天下を取っているわけではないはず。今後任天堂やマイクロソフトの巻き返しがあるかもしれないし、また次世代ハードの時期になった時の状況は不透明なりよね。スーパーファミコンの勢力がプレステの勢力に食われて行ったように、大きな変化が起きうるゲーム業界。どんな未来が待っているのか楽しみなり。

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