デビルレイズの野茂英雄投手が日米通算200勝を達成。

2005/06/16 11:25 Written by コ○助

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日米通算200勝に王手をかけて先発するも足踏みすること3度。投球内容もピリッとせず、なかなか大記録を達成することができずにいたなりよね。でも、ルー・ピネラ監督は「200勝するまでは、ずっとチャンスを与え続ける」と野茂投手の全面バックアップを約束。野茂投手の記録達成に向け、チーム一丸となってバックアップ体制を整えていたなり。そして199勝目を挙げた5月26日のアスレチックス戦以来4試合ぶりの本拠地登板となった15日(日本時間16日)、ブルワーズ戦でようやく記録を達成したなりね。

今季の本拠地での成績は5試合に登板し、2勝1敗、防御率4.03。ロードに比べると安定したピッチングを披露しているため、この試合で決まるとの期待が高まっていたなりが、この日は7回を投げて4安打2失点とやはり安定したピッチングを披露。初回にいきなり先頭打者ホームランを打たれ、2回にも追加点を奪われるなど、立ち上がりはやや不安定な投球だったなりが、途中からは相手の拙攻にも助けられ無失点で切り抜け、7回を投げきった時には83球、被安打4、被本塁打1、奪三振2、与四死球2とほぼ盤石のピッチングだったなり。

試合後のインタビューではホッとしたような表情を浮かべていたなりが、それでもいつものポーカーフェイスを崩すことなく、淡々と感想を語っていたなりよ。

「(200勝は)なるべく何試合でも早くクリアしたかった。今日できて良かった」
「(今日の試合は)初回から野手の守備に助けられました。それでリズム良く最後まで行けたと思います」
「(200勝達成の秘訣は)やりやすいチームでずっとやれてますし、自分を理解してくれる人がチームにたくさんいる。ファンもたくさん応援してくれた」
「(先発にこだわっての200勝ですが、との質問に対して)先発にはこだわってないんですが、それしかできないので」
「今シーズンこれで終わりでは無いので、シーズン最後まで良いピッチングを見せられるようにコンディションを崩さずにやっていきたいです」

野茂投手は1989年のドラフトで8球団競合の末、近鉄に入団。1年目の1990年のシーズンには18勝8敗、防御率2.91の成績でいきなり最優秀選手、新人王、沢村賞、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、ベストナインを獲得。 以降、1991〜1993年まで最多勝と最多奪三振のタイトルを獲り続け、プロ野球史上に残る成績を記録したなり。1995年からは海を渡り、ドジャースに入団。1年目に13勝6敗、防御率2.54でナ・リーグ新人王と最多奪三振のタイトルを獲得。1996年(ドジャース時代)と2001年(レッドソックス時代)にはノーヒット・ノーランを達成し、これがメジャー史上4人目の「ア・ナ両リーグでのノーヒット・ノーラン」という素晴らしい記録となったなりね。

メジャー移籍後もトレードされたり、解雇されたりと、決して順風満帆では無かった野茂投手なりが、それまで誰もが実力差が大きいと思っていたメジャーの舞台で122の勝ち星を積み重ねたことは、非常に価値があることなりよね。野球ファンの一人として、野茂投手の軌跡をデビューから現在まで見続けることができたことに喜びを感じるなりよ。日米通算200勝の記録達成、本当におめでとうございますなり!

☆野茂英雄投手の在籍チーム別通算成績
近鉄 78勝46敗(1990〜1994)
ドジャース 81勝66敗(1995〜1998、2002〜2004)
メッツ 4勝5敗(1998)
ブルワーズ 12勝8敗(1999)
タイガース 8勝12敗(2000)
レッドソックス 13勝10敗(2001)
デビルレイズ 4勝6敗(2005〜)※6月15日現在

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